とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ジェンダー視点で見る近代社会

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


ジェンダー視点で見る近代社会

 


近代社会を ジェンダー視点で分析してみよう。

 


一般に近代社会は、市民革命と産業革命によって成立したといわれる。

 


市民革命によって普遍的人権の概念が確立し、近代民主主義社会が成立した。

 


他方、産業革命によって、農業中心の社会から産業 (工業) 社会に転換した。

 


この2つの革命によって、 個人は、 「職業選択の自由」 や 「居住の自由」 等の自由権を得るとともに、職業選択や居住地の選択をおこなえる実際の条件 (経済的条件など)も獲得し、封建的な社会関係や地域共同体から解放された (近代的個人となった)と。

 


しかし、ジェンダー視点で同じ歴史を見ると、まったく異なる記述ができる。

 


市民革命は、女性の市民権を認めなかった。 婦人

参政権確立までの近代市民社会において女性は、法的に父あるいは夫に従属していた。

 


「女性は理性がない」と考えられていたからである(この「女性は理性がない」等の「社会的に分け持たれた性別や性差についての知識」を、ここではジェンダーと呼んでいるわけである)。

 


このような女性の状態に抗議して「女性市民権の確立」「女性解放」を主張した人としては、M. ウルストンクラフトが名高い。

 


他方、産業革命は、職住分離を一般化させ、既婚女性が生産労働に従事することを困難にした。

 


また市場労働のみが「労働」であって、金銭を得られない家事や育児は消費であるという観念を生み出した 。

 


「労働」概念は、「女性がおこなっていることは労働ではない」というジェンダーを織り込みつつ成立したのである (そのために生物学的性差の強調と家事・育児の 「自然化」 が不可欠となった)。

 


このような労働観をジェンダー視点で見直し、家事や育児などの活動を労働として評価する 「アンペイド・ワーク」 論が生まれたのは、第2波フェミニズム運動以降のことであった 。

 


これらのことから、ジェンダー視点からは、近代社会を単に「個人を解放した社会」ということはできないということが見えてくる。

 


近代社会はすべての人間を解放したのではなく「(妻子をもつ)成人男性」だけを解放したのであり、女性に関していえば、近代社会の成立によってかえって、より強く家族に拘束されるように

なったとすら、いえるのだ。

 


1960年代以降の家族史研究は、近代国家成立以降の産業社会において成立した家族を「近代家族」という言葉で呼ぶような枠組みを生み出した。

 


近代家族とは、「近隣社会やより広い親族組織から相対的に切り離され、深い情緒的絆で結ばれた親密な親子関係・夫婦関係などからなる家族」 を意味する。

 


この近代家族において、「家内性と公共性」が分離し、「女性が家内領域、男性が公共領域」という性別分業が成立したと、いわれる。

 


感想

 


よく言われることですが、近代は専業主婦を生み出したようです。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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