とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

世界の子育て

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  仕事男と、家事+仕事+育児女

 


さて、無事に2人の子どもを産んだとして、次に直面するのはまことに手間暇のかかる育児であ

る。

 


少子化の原因として、女性の就労がいわれることがあるが、それはまちがっている。

 


なぜなら、出産を機に7割の女性が退職し育児に専念する日本よりも、女性の賃労働者率がもっと高いスウェーデン、米国、イギリス、フランス、デンマークなど先進諸国のほうが、日本よりも出生率が高いからである(厚生労働省大臣官房統計情報部 『第1回21世紀出生児縦断調査』2002年調査)。

 


それらの国々では、女性の賃労働形態が日本よりもはるかに男性のそれに近く、夫の家事・育児分担が日本よりも多く、しかも実子でなく配偶者の連れ子、養子や里親という形態による育児も日本に比べて多い。

 


児童手当や単親家庭への手当など児童福祉も、原則的に自助努力を貫いている米国を除いて、日本よりもはるかに行き届いている。

 


とすれば、少子化問題は既婚女性が就労をあきらめるべきかどうかの問題ではなく、まして異性愛の夫婦に実子を得させるための不妊治療によって解決するものではない。

 


日本の家族の問題の核心は、家族生活のなかで育児負担が、女性たちの働く権利やそれまでのライフスタイルを奪うかたちで「3歳児神話」によって実母だけに集中すること、ゆえに子どもを産み育てることが女性には重い精神的・身体的・経済的負担として感じられ、他方で男性にはただ経済的負担としてのみ感じられてしまうことにある。

 


私たちは、子どもをほしいかどうか、そしてほしいなら何人、いつもつかを決定し実現する権利を、個人のリプロダクティヴ・ライツとしてもっているのだが、その権利を行使できない社会状況があるのだ。

 


育児は個人的であるとともに社会的な行為であって、あらゆる社会で、夫や祖父母その他の親族ネットワーク、 近隣ネットワークや保育所、あるいは私費による養育係の雇用など、さまざまな社会的分担がおこなわれてきた。

 


日本でも、夫婦の離別や死別が非常に多かった近世までは夫婦関係も実親子関係ももっと不安定なもので、実母子関係の今日のような永続性は一般的ではなかった。

 


また、戦後しばらくまで、日本は養子大国でもあった。

 


第一次産業の従事者が労働者の6割を占めていた1950年代には、農村において育児の半分以上を母親以外の家族が担っており、母親はむしろ農業労働者としての役割が重要視されていた(労働省『農村婦人の生活』 1953年)。

 


今の家族のように育児を実母一人が担うことは、日本の歴史上、また現代の他の国々と比べてもめずらしい現象である。

 


第2次世界大戦後、育児ネットワークがすべて、夫の「仕事男」化とともにやせ細り、専業の「育児女」が誕生してしまったのである。

 


さらにいえば、実母子関係だけを子どもを保護し育てる関係だと考えてしまうことが、子どもを社会全体で育む力を低下させたのだ。

 


少子化は、戦後家族モデル、つまり「仕事男」と「家事+仕事+育児女」の産物である。

 


感想

 


今の家族のように育児を実母一人が担うことは、日本の歴史上、また現代の他の国々と比べてもめずらしい現象であるという箇所がおもしろいと思いました。

 


世界的には珍しいということに驚きました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

flier(フライヤー)