とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

フェミニズムの起源

こんにちは。冨樫純です

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル フェミニズムの起源

 


ところで、「フェミニズム」というと、今でも誤解する男性がいる。

 


中高年の男性の中には、「フェミニストとは、女性にやさしい男のことだ」と思っている人が、まだまだ存在しているからだ。

 


この用語が、「女性の権利を擁護する思想」、「女性の権利を拡大する思想」という本来の意味で使われるようになったのは、日本社会においては、ほんの15年ほど前のことだ。

 


なにしろ、それ以前は、かなりラディカルな女性の中にも「フェミニスト=女性にやさしい男」という考えをもっている人がけっこういた。

 


さて、このフェミニズムだが、女性の権利の擁護を掲げるこの思想が歴史に登場したのは、それ

ほど前のことではない。

 


フェミニズムの歴史について書かれた多くの書物は、その起源をフランス革命前後の時期にあてているようだ。

 


フランス革命は、ご存知のように、「自由・平等・友愛」を掲げた近代市民革命だった。

 


この革命において、法のもとでの人間の平等、国民主権、言論・表現の自由、財産権、などをうたった「人間および市民の権利の宣言」(1789年)が発せられた。いわゆる「人権宣言」である。

 


この宣言の第一条には、こう書かれている。

 


人間は自由で、権利において平等なものとして出生し、共存する。

 


社会的な差別は、共同の利益のためにのみ設けることができる。

 


人間の自由と平等、差別の抑止を語るこの「人間および市民の権利の宣言」には、しかし、ある根本的な問題が欠落していた。

 


女たちは、ここでいう「人間および市民」に含まれていなかったのである。

 


つまり、ここに書かれている「人間および市民」は、じつは、「人間(成人男性)および市民(成人男性)」であって、女性の存在にいては、まったく無視されたままだったのである。

 


そのことは、この市民革命の結果生みだされた憲法制定議会の場に、ただ一人の女性議員も存在しなかったことからも明らかだろう。

 


革命における女性の無視については、この市民革命に参加した女性革命家、オランプ・ドゥ・グージュ(マリー・グーズ)の次の言葉が、鋭く告発している。

 


女性は、処刑台に上る権利をもっている。

 


したがって、演壇に上る権利もまた有するべきである。

 


彼女は、1791年、「人間および市民の権利の宣言」を模して、「女性と女性市民の権利の宣言」と題したパンフレットを刊行した。

 


23条からなるこの宣言において、彼女は、次のような主張を展開してみせた。

 


第一条 女性は自由なものとして生まれ、かつ、権利において男性と平等なものとして生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくのでなければ、設けることはできない。

 


これは、「人権宣言」そのものではないか、と思われる人がいるかもしれない。

 


その通り、この「女性の権利宣言」は、「人権宣言」を女性の視点から書き直したものなのだ、といっても、完全な模倣ではない。

 


あらゆる分野への女性の参画や、またはそこから生じる女性の義務の遂行など、明らかに「人権宣言」を超えた内容が盛り込まれている。

 


問題なのは、こうしたグージュたちの当然の要求が、コンドルセらごくわずかな例外を除いて、男性中心の革命派によって、ほとんど完全に無視されたことだろう。

 


グージュもまた、後に、(この宣言を理由としてではないが)反革命の罪でギロチンによって処刑されることになるのだ。

 


感想

 


教科書で、フランス革命は、「自由・平等・友愛」を掲げた近代市民革命だったと習ったが、女性がそこから排除されていた事実を初めて知りました。

 


女性の社会参加が認められるのは歴史的には最近なのだと感じました。

 


下記の本を参考にしました 

 


男性学入門』 

 伊藤 公雄

 作品社

 

flier(フライヤー)