とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

子どもは母親が育てるものか

こんにちは。冨樫純です

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 「母性」という神話

 


エリザベート・バダンテールの『母性という神話』(鈴木晶訳、筑摩書房)は、「母性愛」という考え方が近代の産物であることを、たいへんわかりやすく分析している。

 


彼女は、当時のパリの警察資料を使って興味深い事実を指摘してみせる。

 


1780年、首都パリでは、一年間に生まれる2万100(総人口は80万人から90万人である)の子どものうち、母親に育てられるものは1000人にみたず、住み込みの乳母に育てられるものは1000人である。

 


他の1万9000人は里子に出される。つまり、8世紀のパリにおいては、95%以上の子どもが、他人の手によって育てられ、実の親の手で直接に育てられる子どもは、5%に満たなかったのである。

 


背景には、貧困の問題や、子どもに対する無関心があったのだろう(有名なフリップ・アリエスの『〈子ども〉の誕生』杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、によって明らかにされたように、子どもが、つねに手をかけるべき対象として意識されるようになるのは、近代以後のことである) 。

 

 

 

また、バダンテールは、さらに、近世の中流階級以上の男女にとって「授乳が女性の美貌をそこなう」という神話が存在していたこと、「自分で子どもに乳をやるのは名誉なことではない」という考えが、中下層の女の間にまで共有されていた、といった興味深い事実にもふれている。

 


18世紀後半頃の近代産業社会の本格的登場とともに、「男は外へ、女は家へ」の性別分業が強化されることによって、それまでは共同体や大家族、さらには養護院などの施設によって担われていた子育ては、家事労働とともに家にいる女性が主に担う仕事として固定化されてくる。

 


この子育てという女に割りふられた労働を支えるイデオロギーとして、「母性愛」が誕生したというわけである。

 


子育てもまた、「子どもへの限りない愛情」というかたちで意味づけられた「愛の労働」として形成されていくのである。

 


ちなみに、日本において、「母性愛」という考えが広がるのは20世紀に入る前後の時代だったという。

 


江戸時代の女性向けの生き方読本『婦女鑑』や『女大学』 などには、子育てということについて、ほとんどふれられていない。

 


子育てが、もっぱら女性の重要な任務として意識されるのは、日本においても明治維新以後の西欧化によってなのである。

 


感想

 


子育てを女性や母親がしなければならないという固定観念みたいなものが、崩された感じがしました。

 


母親でなくても、女性でなくても確かにいいのではないかと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


男性学入門』 

 伊藤 公雄

 作品社

 

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