こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 男らしさと少年凶悪犯罪
男らしさと犯罪の問題について、ぼくも80年代の日本社会、とくに少年非行について分析したことがある。
少年たちの犯した事件を見てみると、同じグループメンバーの中で、お互いに男らしさの誇示をしあっているケースが多い。
凶悪な少年犯罪が、段階をたどってさらに悲惨なものへと導かれていく軌跡には、男らしさへのこだわりが、それぞれの段階でキッカケとして作用しているといえるのではないか。
いわば「男らしさ」をめぐる競合が、相互に増幅する中で、彼ら自身が予想もしなかった悪夢のような無残な結果へと彼らを導いたと考えるのは、
しばしば「冷酷」とレッテルを貼られる彼らの事件を免罪してしまうことになるだろうか。
たとえば鮎川潤は、「大高緑地事件」における少年たちの言動のうちに「見栄のはりあい、弱気だと思われたくないという相互の牽制、そのことに根差す場当り的な発言」の存在を指摘している。
また、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の少年たちの公判での発言などからも、同様の未成熟で観念的な〈男らしさ〉の誇示の相互作用を見ることも、それほど困難なことではない。
一般に、逸脫的な少年のグループを支配している規範には、こうした表層的な男らしさへのこだわりは、かなり大きな場所を占めているのではないだろうか。
実際、しばしば「問題視」される逸脫的なサブカルチャーの多くには、「男女関係」をめぐって、きわめて強い伝統的なステレオタイプが見られる。
いわゆる非行少年の文化における「男らしさ」(または、女らしさ)へのこだわりは、むしろそれ以外の少年たちと比べたとき、より強いように思われるのである。
例をあげてみよう。いわゆる「暴走族」に愛読されているといわれる雑誌『チャンプロード』に掲載された、読者からの投書である。
俺大阪に住んでるバリバリのヤンキーなんですけど、昭和特攻っていうチームに入ってます。
一応その特攻の隊長やらせてもらってます。
最初はグレるっていうんじゃなかったけど、色々あってちょっと今悪くなっちゃってるんですけど。
俺、今彼女いるんですけど、その彼女がいながら、他の女と平気でエッチしちゃう自分がイヤなんですよ。(……)俺も今18なんで、そろそろ落ちつくかなって思ってるんですけどね。皆さんも、本当に好きな女、好きな男作って頑張ってくださいよ。ごめんな(……)俺の彼女、こんな俺についてきてもらって、彼女が俺のこと本当に好きなのわかってるから、俺もその子一人でいきたいと思います。
彼の男女についての考え方は、じつに「けなげ」であり「古い」のである。
男は「男らしく、女は「女らしく」という規範は、「特攻ツナギ」姿の逸脱ぶりにそぐわず、彼 彼らには強く意識されている。
そのことは、「レディース」と呼ばれる女性暴走族グループにおいても同様である。同じ投書欄には、浮気者の彼とそれでも結婚したい気持ちをせつせつと綴る、10代の女性の声も掲載されている。
均質化されていると同時に、序列化の厳しい日本社会で、そこからはじき出された彼らが求めるものは、古い伝統的な「らしさ」の世界であったわけである。
しかし、この「らしさ」は、安定した自我意識において確立された「らしさ」ではないだろう。
むしろ社会的な疎外感からくる不安と、不安定な自己のアイデンティティを守るために、古い伝統的なステレオタイプとしての「らしさ」へ、表層的にすがりついているだけのように思われるのだ。
感想
暴走族の若者が、男らしさや女らしさにこだわっているイメージがありましたが、その通りのようです。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社