とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「仲間」という絆は弱くなったのか

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


弛緩する仲間集団の絆

 


かつての非行少年たちにとって、何よりも優先されるべき第一義的なものは仲間との関係であった。

 


したがって、彼らの犯罪行為も、仲間との連帯を強化し、グループへの忠誠を確認する手段として機能していた。

 


しかし1990年代以降は、少年犯罪の集団化として語られる統計的な傾向とは裏腹に、かつてのように強固な非行グループは存在しえなくなっている。

 


外見的にはたとえ集団的な犯行であったとしても、その集団の内実のほうが変化しているのである。

 


先ほどの強盗事件についていえば、たしかに1つの事件で一度に検挙される人員は増えている。

 


この事実は疑いようがない。 しかし問題は、そこで私たちがイメージする集団の形である。

 


私たちは、少年犯罪の集団化といわれると、あたかも往年の映画やTVドラマに出てくる少年ギャングのように、強固に結束した非行グループによる犯行をイメージしがちである。

 


しかし、 実態はむしろ逆の方向へと進んできたのである。

 


1990年代以降の強盗事件をよくながめると、互いの忠誠を要請するような構造化された集団によるものは数が少なくなっている。

 


たまたま偶然に居合わせたり、携帯電話で呼び出したりした仲間と一時的に盛り上がっただけで、その雰囲気に逆らうこともできないまま、その場限りの浮ついた気分が重大な犯罪へと発展するケースが目立つようになっている。

 


場合によっては、知り合ったばかりの者どうしが出会ったその日のうちに一緒に犯行に及んだり、あるいは犯行仲間の名前さえ知らなかったりするケースも見られる。

 


このように、たしかに多人数による共犯は増えてきたものの、仲間どうしの結びつきは逆に弱まっている。

 


集団的に犯行に及んでいるように見えても、そこには集団への強いコミットメントが存在していない。

 


だから、自分だけが浮いてしまうのではないか

と不安で、仲間からの誘いを断ることもできず、その場の雰囲気に簡単にのみ込まれて犯行へと加わってしまう。

 


逆にいえば、ここ数年のようにオヤジ狩りがいったん流行らなくなると、その適発件数も一気に減少する。その時の雰囲気しだいだからである。

 


感想

 


インターネットが発達したので、目的だけ共有して、犯罪を犯すケースもありそうです。

 


また、強固の繋がりがなくてもいいという指摘はそうかもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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