こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル いじめ自殺は、圧倒的に男の子
多くの雑誌に「男性特集」が登場する背景には、さまざまな男性問題の顕在化がある。
男性問題は、なにもリストラで悩む中高年男性の問題だけではない。
それは、世代を超えてさまざまなレベルで噴出し、90年代の悩める男の一生、となって現われている。
その一つの例が、「いじめ自殺」だ。
いじめ自殺と男性問題、などというと意外に思われるかもしれない。
というのも、いじめ自殺の背景には、現代日本社会がかかえるさまざまな問題が複合的にからみあっているからだ。
受験の勝利をゴールとするような学歴による序列社会、制服・丸刈り・校則の縛りなどにみられる管理教育、タテマエとしての「平等」という名の横並び文化が生み出した、個々の人格を無視した実質的な人権破壊、メディア社会が生み出した、現実感の希薄化と身体性・身体感覚の喪失、学校の外部に対しては「問題はなかった」としか言わない~事なかれ主義型の学校の対応 、研修や日常的管理の強化の中で締めつけられている教師たちの現状 ……。
まあ、ちょっと思いつくだけでも、いろんなことが出てくる。
しかし、ここでは「男性問題」という観点から、いじめ自殺の問題を考えてみたいと思う。
というのも、自殺した子どもたちを、ジェンダー・センシティーヴ(「男らしさ」や「女らしさ」といった性別による枠づけの問題性に意識的な態度)な視点から見ていくと、はっきりわかることがあるからだ。
1993年から95年にかけて、いじめによる自殺と報道されたケースを見ていくと、いじめで自殺していく圧倒的多数は、中学2年生前後の男子生徒、だということだ。
自殺するのが中学2年生前後という問題も、重要な要素を含んでいるが、ここではふれない。
強調したいのは、いじめによって自死に追い込まれた子どもの8割強が男の子だ、という事実だ。
このことを別の角度から考えてみよう。
「いじめ電話相談」を開設している保坂展人さんたちによると、「いじめ」で電話をかけてくるのは、圧倒的に女の子だという。
つまり、いじめ自殺という点では大多数を占める男の子たちは、いじめ電話相談などには相談をもちかけたがらないということだ。
そこに、「男はこうであるべき」という強い思い込み、の影響はないだろうか。
「男は、弱みをみせてはならない」「男は、自分の感情を表に出してはならない」「男は、がまんしなければいけない」といった〈男らしさ〉の縛りが、男の子たちを電話相談や身近な人への悩みの告白から遠ざけているということはないのだろうか。
また、いじめ自殺をした男の子たちの遺書には、しばしば、性的ないじめ(裸にされた、ペニスに
いたずらされたなど)によって、深い心の傷を受けたという文章が見受けられるのも気になるところ
だ。
性的に痛めつけられることで(とくに「男性のシンボル」とされるペニスを傷つけられることで、彼らの心の中にすでに棲みついている「男である」という「誇り」が傷つけられ、一種のアイデンティティ・クライシス』に陥ってしまうのかもしれないとも思う。
〈男らしさ〉に縛られ、傷つき、他者に助けを求めるすべもないまま、自分の内部へ内部へと問題
を抱え込み、それが抱え込みきれなくなったとき、死を選ぶ。
そんな悲惨な想像さえしてしまう。
男の子といじめ自殺、という問題について、いじめ自殺と取り組んでいる方に、一度じっくり聞いてみたいものだと思う。
感想
男の子のいじめ自殺が報道が多い気がします。
ぼくも専門家の話を聞いてみたいと思いました。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社