こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル ジェンダーという視点
性にかかわる 「決めつけ」に関して、その背景に、男女をめぐる固定的な意識の問題があることが議論されるようになったのは、それほど以前のことではない。
なかでも、「ジェンダー」という視点の登場は、このような性による固定的な枠づけのもつ問題点を、理論的に明らかにするのにきわめて有効だった。
ジェンダーとは、社会的・文化的に構築された性別を意味する言葉である。
つまり、「男ならこうすべきだ」とか「女だからそれは無理だ」といった、個人の能力や特性ではなく、性別による固定的な決めつけにかかわる言葉として、このジェンダーという語は使われるようになっている。
もちろん、「性別による決めつけは、生まれつきのものではなく、社会や文化によって生み出され押しつけられたものだ」という意味合いがそこにはある。
付け加えれば、このジェンダーに対して、生物学的な性差を意味する言葉としてセックス(セックスという言葉にもいろいろな意味合いがあるが、ジエンダーと対になる用語としては生物学的性差の意味で使用される)という言葉がよく使われる。
ジェンダー、つまり「男らしさ」や「女らしさ」が社会や文化によってつくられたものであることを示す興味深い研究がある。
アメリカ合衆国出身の文化人類学者マーガレット・ミードの研究だ。
彼女は、ニューギニア地域の研究のなかで、一つの面白い発見をした。ここで、彼女の研究した社会集団のなかから、アラペシュ族、ムンドグモル族、チャンブリ族という比較的近隣に居住していた3つの社会集団をとりあげてみよう。
じつは、これらの3つの社会集団の男女関係や男女の役割が、欧米の文化のなかで育った彼女の「あたりまえ」の男女観にとって、きわめて特異なものに見えたのだ。
つまり、アラペシュ族では男性も女性も「女性的」なやさしい気質をもっており、ムンドグモル族の場合は、逆に、男も女も「男性的」に攻撃的であり、さらにチャンブリ族では、男は繊細で臆病で衣装に関心が深く絵や彫刻などを好むのに対して、女たちは頑強で管理的役割を果たし、漁をして生活を支えるなど「男性的」な役割を果たしているというのだ。
このミードの議論は、いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」が、絶対的なものではなく、文化によって変化すること、つまり、男性・女性の気質や役割が、文化や社会によってつくられたものであることを明らかにした点で画期的な研究だった。
じつをいうと、このミードの研究は、近年、さまざまな批判を受けている。
というのも、現地の人々の生活や意識についてミードに十分な情報がなかったのではないかという疑問が出されているからだ。
同時に、「アメリカ文化」を前提にした視点が、ときに彼女の観察眼を歪めた部分があるのではないかという指摘もある。
しかし、文化によって性別役割や性表現が異なるということを、誰よりも早く指摘した彼女の研究の意義はきちんと評価するべきだろうと思う。
実際、その後の研究のなかで、文化によってジェンダーが変化するということは、実証調査をふまえて、多くの研究者が明らかにしている。
たとえば、各文化の〈男らしさ〉について研究したデヴィッド・ギルモアは「男は少々女性的で、女は少々男性的」に見えるタヒチの文化や、「ジェンダー図式を欠いている」(つまり男女の区別がほとんどない) 西マレーシアのセマイ族の文化などについて触れている。
感想
文化人類学者は、自分の受けてきた文化的影響を前提として、異文化を理解しようとすると思います。
なので、見方に多少の偏りがあるのは仕方ないことだと思いました。
下記の本を参考にしました
伊藤公雄 牟田和恵編著