とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

近代的キニク主義とは

こんにちは。冨樫純です

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 「近代的キニク主義」と「倦怠」

 


近代以降のこの精神的磨耗の独特のあり方をジンメルに即して次に見てみよう。

 


彼によればそれは「近代的キニク主義」と「倦怠」と表現できる心性なのだ。

 


まず「近代的キニク主義」から見ていこう。

 


「キニク主義」とはもともと、古代ギリシャの哲学の一派であり、世間一般に流布している価値観から徹底的に距離をとることによって、「個人の無条件的な魂の強さと道徳的な自由」を追求しようとする態度を特徴としていた。

 


世俗的な富や名声を徹底的にあざけることから、別名「シニシズム(冷笑主義)」ともいわれた。

 


さて、ジンメルがこの「キニク主義」という言葉を貨幣関心が極端に強まった現代的傾向を生きる人間たちの心性に適用しようとしたのは次のような理由からだ。

 


つまりキニク主義の本質として、あらゆる価値が帯びる差異に対して等しく「無関心」を装うという特質があり無関心という態度こそが唯一の価値的態度であるとされるわけだが、こうした態度はまさに「貨幣的」な態度なのだ。

 


「キニク主義者の生活感情は、最高の価値でさえ低いこと、価値の差異が幻想であることを理論的にも実践的にも証明したとき、はじめて適切に表現される。この志向にもっとも有効にかなうのは貨幣の能力であり、これは最高の価値をも最低の価値をも一様にひとつの価値形式へ還元し、そうすることによってそれらの価値を、いかに異なった種類と程度の価値が問題になろうとも、同じ原理的な水準にもたらすのである。」

 


あらゆる「事物の価値」そして「人格的価値」も貨幣に還元されて表象され、せいぜい貨幣「量」の違いとしてしか認識されない。

 


人びとの生活感情が世界をこのように分節化する方向で時代が進行していることをジンメルは「近代的キニク主義」といういい方で表現しようとしたのである。

 


こうした傾向がもっと極端に進行したときに「倦怠」という心的感覚が蔓延する。

 


これはいわゆる〈ニヒリズム(虚無主義)〉とほとんど同義であると考えられる。

 


ジンメルがいう「倦怠」というニヒリズムとはどのような状態であろうか?

 


近代的キニク主義の段階では、貨幣という「平準化」装置によって一元化されてはいるが、まだ

「価値」というものに対する一定の反応が見込まれている。

 


しかし「倦怠者はその―たしかに完全には実現されない―概念からして価値感覚一般の差異に対して無感覚となり、彼はすべての事物を一様に気の抜けた灰色の音調において感じ、そのことによって、ある反応へ、とりわけ意志による外界への反応へと刺激されることを価値なきものと感じる」までに至る。

 


人間が生きる意欲(=生に対する欲望)をもてるのは、価値の多様性を感覚でき、その多様な価値の世界のなかから自分の獲得すべきアイテムを特定化できる場合であることが多い。

 


価値の多様な相違を、そのなかから自分にとってとりわけ意味のある価値を浮き彫りにできることは、それだけで「まったく生き生きとした感情と意欲」を涌き起こす原動力になる。

 


しかし、「生活のありとあらゆる多種多様な可能性をまさに同じ貨幣額で所有することができるという事実がひとたび人を内的に支配すれば、人はまさしく倦怠を感じるに違いない」

 


つまりあらゆる物やサービスがお金さえ払えば味わうことができるという状態は、自分が味わおうとする喜びのすべてが〈予測可能〉であるということを意味する。

 


つまり未知なものを味わうという人間本来の生の享受のあり方がそこでは失われてしまっているのだ。

 


感想

 


世間一般に流布している価値観から徹底的に距離をとることによって、「個人の無条件的な魂の強さと道徳的な自由」を追求しようとする態度をとる「近代的キニク主義」の考え方がレアだと思いました。

 


現代人には考えられない思想だと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス

 

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