こんにちは。冨樫純です。
本を紹介します。
①この本を選んだ理由
動画で佐伯さんの話を聞いて、おもしろかったので著作を読んでみようと思いました。
②こんな本です
『自由とは何か』
佐伯 啓思著
「自由に倦んだ」時代に問う、渾身の論考!
自己責任や援助交際、殺人を巡る議論など、自由にまつわる問題に様々な角度から切り込み、現代社会・思想が陥っている「自由のジレンマ」を乗り越える方法を探る。
③こんな言葉が印象に残りました
「何をやっても個人の自由」
またひとつ具体的な事例から始めよう。
1990年代の終わりに、女子高校生によるいわゆる援助交際が問題となったことがある。
これは「自由」を論じる事例としてはいささかつまらないケースではあるのだが、現代日本における自由というものの位相を知る上で象徴的なケースとなっている。
ここでも、この事例が著者の関心を引くのは、援助交際そのものではなく、ある社会学者が女子高校生の「援交」を支持したという点にある。
そして援助交際自体よりも、それを支持する言説のほうが物議をかもした。
ここで重要なことは、現代の個人の自由の観念から出発すれば、援助交際を道徳的に批判する確かな理由はない、ということである。
現代の自由擁護論の代表を「リベラリズムの立場」(それについてはまた後で述べる)といっておけば、リベラリズムの立場からはこのことを批判はできないのである。
現代の「自由」についての標準的な合意は次のようなものだろう。
人は、他人の干渉や強制を受けずに自分の意思である目的を追求することができる。
その人なりの「善き生き方」を追求する権利である。この権利は、基本的に他人や社会に対して深刻な害を及ぼさない限り、原則的に尊重されるべきである。
要するに、他人の迷惑にならない限りで、個人の選択、個人の意思は最大限に尊重されるべきだというのである。
この場合、この個人がいかなる意図を持っていようが、いかなる好み、あるいは欲望を持っていようが、その人の「善き生き方」の内実が他者にはわからない以上、それが他人の迷惑にならない限り肯定されるべきだという。
他人の迷惑にならない限りというのは、別の言い方をすれば、他者の同様な自由への権利を侵害しない限り、ということだ。
すなわち、「何をやっても個人の自由」が原則だが、それに歯止めをかけるものは、「すべてのものが平等に自由の権利を持つ」という点にあり、個人の無条件の自由といえども、この制約条件を破ることはできない。
これが、現代の自由の考え方である。
(本文より引用)
④この本が気になった方への2冊はこちら
『「欲望」と資本主義』
終りなき拡張の論理
佐伯 啓思
『20世紀とは何だったのか』
西洋の没落とグローバリズム
佐伯 啓思
PHP文庫
⑤感想
人は、他人の干渉や強制を受けずに自分の意思である目的を追求することができる、という考え方は強力だと思いました。
興味を持ってくれた方はいるでしょうか?
興味を持った方は、是非読んでみてください。