こんにちは。冨樫純です。
独学で、憲法を学んでいます
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
魔法のことば:「幸福追求権」
頭のよい 「学者」 があらわれて、日本国憲法にいいました。 「落ち込むことはないのだ、わが日本国憲法よ。 お前には、13条というすばらしい条文があるではないか。 そこに書いてある『幸福追求に対する国民の権利』 すなわち 『幸福追求権』 のなかには、プライバシー権の保障も含まれているんだよ」。
いわれた日本国憲法は、ほっとするのと同時に照れくさく思いました。 自分を作った人たちからは、「幸福追求権」というのはジョン・ロックやヴァージニア権利章典が用いはじめた由緒ある表現なのだと聞かされてはいましたが、そこからプライバシー権などなどの「新しい人権」 がどんどん飛びだしてくるとは知らなかったからです。
日本国憲法が生まれて70年ちかくが過ぎた今では、表現の自由や信教の自由など、日本国憲法が条文をもっている人権だけが人権として保護されるのでは十分とはいえません。
社会生活を送っていくうえで、それと同じくらい大事な個人の利益も人権として保護される必要があります。
プライバシー権はその代表的なものですが、肖像権(みだりに写真撮影されない権利)、名誉権、環境権(良好な環境を享受する権利)、日照権、静穏権(静かな生活環境を享受する権利)、嫌煙権などが 13条に読み込めるものとしてあげられています。
判例もプライバシー権、肖像権と名誉権くらいは人権として認めています。 こういうのを「新しい人権」というのですが、立法者 (国会) が法律でこういう人権をせっせと保護することは、たいへん結構なことです (法律が保護してくれるのだったら、「あえて「人権」だという必要がないだけのことです)」
しかし、裁判所がこれをあまり気前よく認めてしまうと、今まで表現の自由や財産権の行使として当たり前に許されていた行為(たとえば, マスコミが芸能人の私生活をしつこく追い回すとか、公害企業が煙をもくもく排出するとか)が、裁判という場で突然に「お前はひと様の人権を侵害したのだ」と宣告され、でき上がったばかりの写真
週刊誌の出荷を禁止されたり、工場の操業を差し止められたりすることになり、加害者であるマスコミや企業の側の「人権」 (ちなみに、企業のような法人にも、性質上可能な範囲で人権保障が認められることになっています)としては不意打ちを食ってしまいます。
そこで、社会全体でこれは人権なみに重要だ、というコンセンサスができ上がっていることと、人権としての内容が明確だといえることなどの条件をクリアーしてはじめて、「新しい人権」として、条文のある人権に並べて同じように保障することができると考えられています。
感想
たしかに、現代では有名人でなくてもプライバシーが晒されるので、重要だと思いました。
下記の本を参考にしました
『いちばんやさしい 憲法入門』
初宿 正典 他2名
有斐閣アルマ