こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題
コミュニケーションの対等性という罠
今日の若者たちが仲間から高い評価を受ける基準は、場の空気を敏感に読み取り、その雰囲気を盛
り上げ、場面を器用に転がしていけるようなコミュニケーションの巧みな能力である。
コミュニケートされる中身ではなく、コミュニ
ケーションそれ自体のノリのよさが重視される。
しかし、コミュニケートされる中身への関心を欠いて、コミュニケーションの様式だけが関心の対象として剥き出しになった状態は、その外見上の形式に対する人びとの感覚を異様に鋭敏なものにしていく。
長谷正人も指摘するように、平等であることを理想とする近代においては、コミュニケーションにおいて対等性が重視されがちである。
それでも、たとえば部活の試合で他校に勝つため、先輩が後輩を特訓するといったケースのように、コミュニケートされるべき中身に切実さがあった時代には、対等性が多少は犠牲にされても仕方ないと感受される向きもあった。
それは、教師と生徒の関係においても同様であった。
しかし、今日では、コミュニケートされる中身にかつてのような切実さがなくなったため、コミュニケーションの対等性だけがクローズアップされるようになっている。
とりわけ多様性が重視され、価値の序列が失われた現代においてはそうである。
したがって、対等性のバランスがわずかでも崩れると、とたんに被害感情が募っていきやすい。
今日、いじめの理由として使われやすい口実が「正当防衛」である背景には、このような事情がある。
ネガティヴな属性をもった人間に対する差別ではなく、自分たちの立場を守る行為として、いじめが認識されているのである。
じっさい、今日の若者たちの人間関係において、周囲から人気を集めやすい者といじられやすい者とは紙一重である。
ちょっとしたきっかけで、それまでの人気者がいじめの被害者に転じてしまうケースはしばしば見受けられる。
人気者は、フラットな人間関係から突出してしまいやすいからである。
対等性に対する強いこだわりがあるために、それが少しでも傷つけられると、手のひらを返したようにいじめの対象とされるのである。
感想
周囲から人気を集めやすい者といじられやすい者とは紙一重であるという指摘はおもしろいと思いました。
また、想像の通りだとも思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ