こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題
インフォームド・コンセントという形の対話
医師たち自身、全能感に満ちた立場にあると理解されることを重苦しいものと感じている。
N. A.クリスタキスは「死の予告」という主題にかかわって、次のようなことを論じている。
「患者は、病気に名前がつくと、次にこういう質問をするものだ。
それでどのくらいかかりますか?
どのくらいで〜になりますか?
どのくらい? どのくらい?
そこで医師は答える、確かなことはわかりませんが……。医師は時間の支配者であるかのように見える。
時に水夫が海の支配者であるかに見えるように。
しかし、医師も水夫もそれが幻想であることを知っている。
それなるがゆえに、医師と患者・家族のコミュニケーションの対等性を求めて、立場の強いものには配慮が、立場の弱い者には能力の獲得と意欲が求められる。
その各々の方向性が「インフォームド・コンセント」と「エンパワメント」だといえよう。
その背景には,「当事者性」というものを重要視する考え方の浮上もある。
「インフォームド・コンセント」とは、医師が患者に対して、病状や診断、治療方法や効果・副作用について十分な説明を行ない、患者が納得したうえで治療を行なうというものである。
医師と患者・家族のあいだにおいて、治療をめぐってコミュニケーションを行ない、対話を通じて「説明の上での同意」がなされていくことがめざされている。
従来、患者は医師のパターナリスティックな管理下に従属的におかれる存在であったという認識にたち、患者の人権擁護や自己決定権の尊重を目的に、医師や医療機関の態度の改善をめざしたものとして、インフォームド・コンセントは位置づけられる。
しかし、しだいに、治療や手術の成否、副作用
など医療行為がじつは不確実性にみちたものであることが如実にさらされ、治療や診察の結果に医師への責任が問われるようになってきたこともあって、患者の権利だけでなく、医師の不確実な立場を守るものとしても機能してきている。
感想
医療現場でインフォームド・コンセントと言われることがあります。
医療も進歩して、確実性が高まっているのに、不思議な感じがします。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ