とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

職人の非透明性

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 「わざ」と非透明性

 


生田久美子『「わざ」から知る』が記す伝統芸能の修業は共通の特徴を示す。

 


弟子は師匠の「形」を模倣するが、学校教育的な段階的目標はなく全体を模倣・習熟するしかない「非段階性」があり、弟子は目標を自ら設定せざるをえない。

 


また師匠からの評価は「ダメだ」「そうじゃない」あるいは(本人はこれまでと同じと思っているのに)「それでいいのだ」という、鋭利ながら評価の根拠が見えない「非透明性」をもつ。

 


生田はこれが弟子に探究を持続させるという。

 


たとえば三味線の鶴沢寛治は、人の稽古を聴かされて師匠にやってみろといわれ弾いてみると、「ウンもいかん、スウもいかん」と叱られ、「ほなどっちしたらええちゅうわけで、まともにやったらええ』」しか教えてくれない、と回想する。

 


なにが評価され、なにが評価されないかわからないまま叱られるわけだ。

 


そのうち鶴沢が、本に書かれた手ではない手を「これ弾いたらどう言わはるやろと思うて」弾いてみると師匠は黙っている。

 


「それでもええのやったということで」今度は別の手を弾いてみると師匠は「どういう心でそれを弾いてんのや」と尋ね、答えられないと叱られたという。

 


「非透明」な評価に対し、弟子はただ師匠を模倣するのではなく、違った手を弾くことで「師匠の示す『形』のどの部分が必然」で(だから変えると叱られ)、「どの部分が偶然」か(だから自分の工夫が可である)を知るようになる。

 


こうして、ひとつひとつの「形」を模倣する(似せようとする)段階から、それを師匠の目で眺めて、なにがこの芸で必然的かという「型」を習得し、だからこそ「形」の模倣から離れうる段階へと移行する、と生田はいう。

 


この過程で言語による指示もある。

 


それは、ここがこの理由でよくないからこうしろという理論的なものではなく、簡潔で独特な比喩的表現であり、「わざ言語」と呼ばれる。

 


歌舞伎の中村歌右衛門(五世)が団十郎(九世)から台詞回しの教えを受けたとき、団十郎が気に入らない箇所で「口でいわずに腹でいうのだ」といわれ、どうしたらいいかと考えた末に、見物客に聞こえるようにいっていた台詞を相手役だけにいうよう改めたところ、それでいいといわれたという。

 


また尾上菊五郎が蛍を追う振りの踊りに苦労していたときに、「指先を目玉にしたら」という助言をもらい、そうしたところはっきり感じを出せたという。

 


こうした比喩はときに弟子を「師匠はなぜこの表現を使ったのだろう」と当惑させる。

 


しかしこの疑問から、言葉のイメージと身体の形との類似を探る試みが始まる(記述的言語はイメージを喚起せず、推論や探究を生まない)と生田はいう。

 


ここには師匠による「主導」があり、弟子による「応答」があり、それを師匠が「評価」している。

 


よいか悪いかははっきりいわれる、だがその根拠はわからない。

 


指示もされるが、比喩的な表現で、弟子はその意味を考えねばならない。

 


しかし、非透明だからこそ弟子は自分で探究を始める。

 


なにも指示されずただカスを食わされていた文五郎は、師匠の模倣を超えた足遣いをし、「うまいっ」と褒められる。

 


もしこれが透明な主導と評価だったらどうだっただろう。

 


こうした透明でないコミュニケーションは、師匠-弟子の関係の「非対称性」を条件にしている。

 


対等であるなら、非透明な主導や評価に応答する必要はないだろう(わからないから説明してくれというかわからないから従わないか、すればよい)。

 


しかし芸を知っている師匠の非透明なメッセージをまえに、芸を知らない弟子は探求を続ける。

 


師匠の連日のカスと「威」が文五郎を追い詰めるが、追い詰められることで文五郎は「形」の模倣から脱出する。

 


もちろん、この非対称性は暴力や支配に近い側面をもち,主導・評価の非透明性は師匠の「威」を再生産する効果も生むだろう(ブルデューが指摘したように)。

 


しかし、非対称性という条件は,非透明なコミュニケーションを可能にし、「知っている人びとの共同体」と「知らない人びとの共同体」を教えと学びが拮抗する(ときに学びが教えを超える)形で結びつける。

 


感想

 


不透明だという見方がおもしろいと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『コミュニケーションの社会学

 長谷 正人 他1名

 有斐閣アルマ