とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

師弟制とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 正統的周辺参加

 


近代的でない「教える/学ぶ」コミュニケーションを取り上げよう。

 


扱うのは「徒弟制」である。

 


師匠から弟子がなにかを身につける、という「教える/学ぶ」関係。

 


そこでは、「対称の関係」が担保されず、非対称的に教え込む関係が展開すると予想されるようにも思う。

 


しかし、以下の事例は、これとは別のコミュニケーションの姿を見せてくれる。

 


ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーは「正統的周辺参加」という概念でこれをとらえようとする。

 


この過程で、弟子たちは共同体のなかの位置を変

化させながら、状況に埋め込まれたやり方を学んでいく。

 


これは、子どもだけ集めた学校が抽象的・脱文脈的な「一般性」の知識を教えるのに対し、子どもが大人の世界に正統的周辺参加者として加わり特殊な「状況的学習」により社会化されるのと類似している。

 


レイヴたちは、徒弟制の例を紹介するが、「教える行為」(teaching)よりも実践共同体のなかで「学ぶ」(learning)ことに焦点があるとする。

 


ユカタン半島の産婆の例では、母親や祖母が産婆

である少女たちが産婆になることを学んでいくが、これは日常生活で生じ、「教える努力」は見られない。

 


彼女たちは成長過程のなかで、産婆の生活はどういうものか、相談にくる男女がどんな話をするかを知り、出産前のマッサージの仕方を知る。

 


特定の親方−徒弟関係での「教える行為」はほとんどなく、実践のなかで「学習する」。

 


「徒弟制において、しばしば学習の機会は親方-徒弟の強い非対称的な関係によるよりも、仕事の実践によってその構造が与えられる」

 


これを学びうるのが、「正統的な周辺性」という場所である。

 


リベリアの仕立屋の事例はユカタンの産婆より専門職の親方から学ぶという性格が強いのだが、製造のステップと逆に学習が進んでいくという特徴がある。

 


まずボタンつけをまかされ、次に縫うのを担当

して衣服全体の構造がわかり、裁断に進む。

 


当初弟子は単純で責任の軽い仕事を割り当てられて共同体に部分的だが役に立つ貢献をする位置に置かれ、そこから徐々に共同体の全体像に近づいていくのだ。

 


周辺から中心に移行していくなかで一歩先んじている徒弟、同じような他の徒弟との関係からも熟練を習得していく。

 


ここには「学習のカリキュラム」はあるが「教育のカリキュラム」はなく(「学ぶ」はあるが「教える」はない)、前者は「共同体の特徴」として状況に埋め込まれている。

 


こうして、「正統的周辺参加」という概念は、徒弟が実践共同体に「参加」しながら、実践のなかで「学ぶ」(「教えられる」のではなく) プロセスを描き出す。

 


レイヴとウェンガーが強調するのは、親方が弟子に「非対称」に教える過程ではなく、共同体に入りその関係性のなかで(そこには親方との関係も含まれるが、同僚の弟子たちの関係がより重視される)学ぶ過程である。

 


感想

 


板前が一人前になっていく過程をイメージできると思いました。

 


皿洗いから始めて、先輩方と関わり合いながら成長していく感じです。

 


下記の本を参考にしました 

 


『コミュニケーションの社会学

 長谷 正人 他1名

 有斐閣アルマ