こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 里親と子ども
AIDで生まれた人と同様に「生まれる」ことについての理不尽さを負っているのは、里親家族で育った人である。
彼/彼女らは、実親の側の事情から実親とは暮らすことが許されず、里親家庭に委託されている。
このような人びとは、親がなぜ自分を産んだのか、自分が生まれることの意味はどこにあるかということについて、深く思い悩み、ときには問題行動という形で葛藤を表出させる。
里親家庭の子どもは、「生まれること」と「育てること」が切り離されており、里親は後者の部分のみを担当する。
しかし、里親は「生まれること」と無関係に養育を行なうわけではない。
それどころか、子どもの生の物語の喪失をなんとか親子関係の構築を通して埋めていこうとし苦悩する。
それでは、じっさいに里親家庭では「生まれる」ということを通して、どのような親子関係が形成されていくのだろうか。
子どもは自己の出生をどのように受け止め、里親はそれをどのように支えていくのだろう。
以下では、里親のインタビューから、出生を通して見えてくる里親と子どもの関係について考えてみたい。
ユウコさん(仮名)は 50代の女性で実子がいない。6歳からタカオくん(仮名)を受託し、20歳までともに生活をした。
タカオくんは家では騒ぎを起こすような子どもではなかったが、習い事などの場面では、友人へのいたずらが目立った。
ユウコさんは、タカオくんを連れて剣道を習いに行った。しかし、タカオくんは他人からの関心を集めたいばかりに、練習よりも友人にちょっかいを出し、周囲を困らせた。
見かねた道場の先生たちは、毎回ユウコさんに稽古を断るよう言い出そうとする。
しかし、ユウコさんの態度があまりにも一直線に子どもに向かい、思いつめているように見えたため、ついに切り出すことができなかった。
さまざまな習い事を試させたり、勉強を教えたりするなかで、ユウコさんはタカオくんを枠にはめようとしてきた。
小学生のあいだはユウコさんに従ってきたタカ
オくんも、中学に入るとしだいに反発を強める。
自己主張をするようになったタカオくんを見て、ユウコさんはこれ以上自分のやり方を押し付けると家庭内暴力になるかもしれないと感じ、しだいに寛容路線へと変えていった。
小学生のタカオくんは、家のなかでお金にかかわる問題を起こすようになる。ユウコさんは、タカオくんが家で遊んでいるとき、台所の袋から財布を抜き出すところを目撃する。
盗みを目の当たりにしたユウコさんは、「お母さんは泥棒の子を育てようと思って育てたわけじゃない」とさめざめと泣いてしまった。
高校生になったタカオくんは、今度は隣に住んでいた祖母の財布からお金を持ち出した。
祖母とユウコさんが話をしているときに、タカオくんは帰宅し「僕がおばあちゃんの本当の孫だったらそんなことは言わないはずだ」と泣きながら訴えたという。
祖母はどう返答したらよいかわからず「胸がつまっちゃって、もう何にも言えなくて」泣きそうになって帰ってしまった。
ユウコさんはタカオくんの言葉を聞き、自分が受け入れられていることを確認したい気持ちから盗みが生じていたのだと感じた。
高校卒業後、タカオくんは専門学校に進学する。
そのころ、タカオくんに転機が訪れる。タカオくんは専門学校に通っているあいだに学籍簿と通称名が異なることをきっかけに、やっとの思いで友人に里親家庭で育ったことを話した。
すると友人からは「大した問題じゃないじゃないか。今、目の前にいる君が大切なんであって、そ
の後ろがどうとかこうとかっていうことは関係ないよ」と言われた。
それからは、「つき物が落ちたみたい」に「伸びやか」になって「生きやすくなった」という。
感想
上の例では、比較的上手くいっているように感じたしたが、多くの場合、里親も子ももっと大変な思いをすると思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ