とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

複雑な「生まれ」の人々

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 「生まれ」の物語の喪失

 


出生に関して複雑な状況を背負っている人は、「生まれる」ということについての理不尽さから容易には逃れられない。

 


その一例が生物学的な親と育ての親とが一致しない人びとである。

 


このような人びとのなかには、自己の出生にかかわる事実を突然聞かされ、戸惑いや不安を抱えながら生きることを余儀なくされた人もいる。

 


こうした人は、自身の「生まれ」にかかわる理不尽さをどのように受けとめ生きていこうとしているのだろうか。

 


以下では、才村眞理が行なったAID(提供精子による人工授精)によって生まれた二人のイギリス人へのインタビューを紹介し、「生まれる」という物語と親子関係との関連について考えていこう。

 


デイビッド・ゴランツ(55歳)は 12歳で父親からAIDで生まれたことを知らされた。

 


そのときの状況は「驚きとショックで、怒りとかそういう感情とか湧いてこなかった」。

 


現在は母親に対して責める気持ちはないが、AID については「すごくむかむかするような気分悪いことだし、機械的なことだし、いわゆる愛情をなんていうのかな、性交渉でできたんじゃないことに関しては非常に今でもわだかまりがある」という。

 


彼は、AIDで生まれたことについて、アイデンティティと関連づけてこう語る。

 


6歳の時に車にひかれた経験があります。

 


その時は車にあたってゴーンと体がはねて、痛いとか何も考えられず、ただボワーンとはねられたっていう経験があって、それと全く一緒でした。

 


それでなんか車よりもむしろ、今回電車ぐらいの大きさでした。

 


これが一番の適切な表現だと思います。

 


これは後から知的に意味づけした言葉を使うと、破滅。自分が破滅した。今までの自分じゃなくなってしまった。

 


破滅って言葉を後から知的に解釈したら、それが一番適切です。

 


トム・エリス(24歳)は、20歳を過ぎてからAIDによって生まれたことを知らされた。

 


彼は家族療法のセラピーのなかで母親が話したことがきっかけで父親からAIDという事実を告知される。

 


はじめて話を聞いたときには「びっくりした」が「感覚がマヒしたような感じで、何も感じなかった」と語る。

 


その後、セラピーを通して「やっぱり自分の気持ちについてもっとわかっていくようになったし、そういうことが後の人生の中でものすごい重大なことなんだとだんだん気付いていった。

 


AIDを選んだ母親に対しては「すごく怒っています。どうしてそんなことをしたのか、母のせいで、自分が生物学的な父のことを知らないのですから」と憤慨している。

 


そして「AIDと養子との共通点について」は「やっぱりここは自分の居場所じゃない」「自分の本来あるべき家族じゃないところに入れられて、そこでやっていくという感じ」が似ているという。

 


彼はAIDの問題点についてこう語る。

 


結局そういう風な仕方で妊娠させるということをした時点で、もうすでに人工的なんだし、だいたいそこに属さない子どもをに作って、そこに無理矢理、属させようとしていること自体が問題。(中略)一番自分に近くて、一番信頼していた人たちから嘘をつかれていた騙されていた、ということで、状況をもっと複雑にしています。(中略)自分たちは人工的に作られた、人工的にその家族が得た、ものすごく人工的ということ、入れらられたとかっていう感じに制限されています。

 


AIDで生まれることによって「父親」という存在を奪われる経験をした二人の男性は、その事実に少なからずショックを受け、養父との関係にも亀裂が生じている。

 


仮に彼らの両親が互いの精子卵子を用いて人工的に受精させている場合には、二人の受けるショ

ックはこれほど大きなものではなかっただろう。

 


彼らがもっとも怒りを感じているのは、生殖補助医療を用いて妊娠したことよりも、自己の誕生に加担しているはずの父親が、生物学的には存在していながら匿名とされているところにある。

 


精子提供者は自己が「父親」として特定されることを想定していない。

 


その意味で、生物学的な父親は「父親」ではなく、単なる精子提供者にすぎない。

 


AIDにははじめから「父親」は存在してはならないのである。

 


こうしたことを受け入れるのは二人にとっては困難なことであった。そのため、二人は現在も精子を提供した人物を探し求めている。

 


彼らは精子提供者をどうにか特定することによって、匿名が意味する自己の誕生の偶然性(「誰の子どもでもよい」)から、生まれてくることへの必然性(「誰かの子どもでなければならない」)へと自己の意識を変換することを求めているのである。

 


感想

 


当事者になってみないとわかりづらい感情だと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『コミュニケーションの社会学

 長谷 正人 他1名

 有斐閣アルマ