こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 制度としての友情
一般に友人関係は、形式的な儀礼や義務を伴わない、自由な結びつきと考えられている。
たとえば、恋人たちのようにひんぱんにプレゼントを交換していなくても友情は成り立つし、親友が別の人と親しくなったところで、私たちは相手に慰謝料を求めようとは思わないだろう。
他の多くの社会的なコミュニケーションが法や権力や金銭といった外的な要素で支えられているのに対し、友人とのコミュニケーションは純粋に自発的な結合として形成されている。
これが、私たちが友人関係について抱いている常識の一つであろう。
だが人類学者の R. ブレインによれば、友人関係を親子や夫婦のように、法や儀礼によって制度化している社会は世界各地に存在する。
たとえばカメルーンのバンガ族では、友人は同じ生まれ年の同性から選び出され、生涯友情を結ぶことが期待されている。
アフリカの部族社会では、同じ日に生まれた者は最高の友人と考えられており(ゆえに親友はしばしば「双子」の比喩で語られる)、当人の意志にかかわらず、誕生日の近い者同士が「親友」として指名されることも珍しくないらしい。
そして、その友人関係に問題が生じても勝手に解消することはできず、村の長老などを交えた協議が必要となるという。
これだけでも私たちには十分驚くべきことだが、さらに驚くのは、こうしたお仕着せの関係にもかかわらず、彼らはじつに情熱的に愛情を交わすということだ。
たとえばバンガ族の友人たちはつねに愛情を言葉で表現し、贈り物を交わし、一緒に旅行し、「愛撫」も辞さないほどに感情をあらわにするし、トロブリアンド諸島でも親友となった若者たちは、「おおっぴらに抱きあい一緒に眠り、腕を組んで村をそぞろ歩く。
そして彼らの友情はしばしば愛情と助けあいに立った恒久的な関係となって、成人後もずっと続く」のだという。
次に引用するグァテマラのチノートゥレコ族のエピソードは、とくに鮮烈である。
ファンとペドロは十代で固い友情を結び、二十歳と二十二歳の若者になった時でも村一番の親友どうしであった。
ペドロの母が死んだ時、それをきっかけに二人の関係は情熱の度を加えた。
二人の若者は毎晩デートをし、村々の祭りに出かけてはいっしょに踊り明かし、帰ってきていっしょに寝るのだった。
(略)彼らの二人の関係は皆に知れ渡っていたが、この年頃の未婚の若者としては正常なふるまいとみなされていた。
嫁をもらえば熱もさめるだろう、というわけだ。
(略)彼らは……抱き合ったり冗談を言ったり戯れのキスをしたりして、どちらかが女だったら結婚するほど愛していると言ったものだ。
だが彼らの友情は、ある日ファンが祭りで別の男と踊ったために突如破綻する。
これに逆上したペドロは、自分も新しい相手を見つけてきて、踊りながら押したり突き飛ばしたりし合った。
この日以来、二人の仲は「嫉妬と不信の修羅場」と化したが、結局、長老たちの仲裁で友人関係を正式に解消することになったという。
私たちは通常、恋人が他の異性と親しくすれば嫉妬するが、友人が他の同性と仲良くしても嫉妬しないものだ。
その意味で彼らの友情は私たちの知る恋愛感情となんら変わらないといえよう。
感想
制度として友情関係を結ぶとは驚きました。
また、友情がここまでこじれるなんて、日本人には考えられないと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ