こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
対立を忌避する関係
近年の非行少年たちは、日常の友人関係に安定感を抱いていない。
しかしそれは、彼らのコミュニケーション能力が稚拙化して人間関係が希薄になってきたからではない。
そうではなくて、人間関係に対する彼らの期待値のほうが過度に上昇してきたからである。
彼らは、つねに他者から全面的に受容されていなければ、自分の不安を打ち消すことができなくなっている。
自己肯定感の不安定な基盤を補強するために、自らの周囲にいる他者への依存度が高まっているのである。
このような傾向は、一般の少年たちにとっても無縁なことではない。 非行少年だけが別世界を生きているわけではなく、とりわけ非行文化が崩壊してしまった今日においては、両者の垣根は以前よりも低くなっている。
では、今日の若者たちの間で自己肯定感の基盤が揺らぎやすくなったのはなぜだろうか。
近年の若者たちにとって、友人とは、 とりわけ親友とはどのような関係を指すのだろうか。
たとえば、中学生のある少女は、「個人的な奥の奥まで触れられたら、あっというまに逃げてしまって、それまでの親友関係、全部壊れてしまう…… 会ったら、 「わあ、元気してる?』 で、わあっとみんなで遊びに行って、彼氏の話とかして盛り上がって、「また会おうね」 でおわり」 と語っている。
かつて親友といえば、互いの対立や葛藤を経験しながらも、いくども訣別と和解を繰り返すなかで徐々に揺るぎない関係をつくりあげていけるような間柄を指していた。
しかし、近年の親友関係においては、互いの対立点が顕在化することはめったにない。
むしろ、互いの相違点が露呈してしまわないように、高度な気遣いをともなった人間関係が営まれている。
これは、従来の親友とは異なった関係である。
このような対立の忌避を最優先にするいわば「優しい関係」を取り結ぶ人びとは、かつて、D. リースマンが社会的性格として指摘した他人指向型パーソナリティにきわめて近い。
「他人指向型の子どもは友達とこのような交流をもつことによって自分のレーダー装置がまちがいなく、作動しているかどうかを確かめるもの」である。
なぜなら、 「自分が『他人』 とちがうというのは、そこでは危険なこと」であり、「正しい好みとは仲間の反感を買わない好みのこと」だからである。
感想
「優しい関係」を若者が望んでいるという指摘は、そうかもしれないと思いました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ