こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 友人関係における一致と差異
さて私たちはまず、具体的な事例を見る前に、友人コミュニケーションをもう少し理論的に把握しておこう。
しかし誰もが日常的に営んでいるわりに、友人関係を明瞭に定義することはそれほど容易ではない。
冒頭でいろいろ羅列したように、友人とのかかわりといってもそのあり方はじつに多様であり、誰もが納得するような共通点を見つけることは案外難しいからである。
親子関係や恋愛関係がはっきりした固有の指標(たとえば血縁や性愛のつながり)をもっているのに対し、友人関係は他の一般的な人間関係(G. ジンメルのいう「知人関係」)との境界が曖昧なのだ。
ただし、異性の友人が恋人へと移行したり(その逆もある)、ただの知人が友人になったりする事実を考えれば、友人関係を、恋愛関係と知人関係の中間に位置づけることはできるだろう。
恋人ほど親密ではないが、単なる顔見知りよりは互いのことを知っている、中程度の親密さ。
これをひとまず友人関係の指標としてみよう。
そうすると、友人コミュニケーションにはつねに二つの側面があると考えることができる。
第一に相手のことを、自分と似たところをもった「同類(同志)」として感じる側面。
第二に相手のことを、自分と異なる人格をもった「他者」として認める側面である。
たとえば私たちがさまざまな知人のなかから、特定の人間と友人関係を結ぶ理由の一つは、相性が合う、考え方が似ている、興味関心が近い、といったなんらかの共通性を感じるところがあるからだろう。
昔の仲間が成功している噂を聞いて誇らしく思うときも、初対面の相手が同じ趣味をもっていることを知り急に親しみがわくときも、そうした感覚や経験の共有による連帯感が働いているはずだ。
他方どれほど気の合う友人でも、彼らは所詮他人であり、互いに理解も干渉もできない部分があることも、私たちはよく承知している。
たとえば私たちは権力や金銭を使って友人を作れないし、やたらと束縛したがる人やいつも甘えてくる人とは親しくしたいと思わないだろう。
当然だが、互いのことを「友」だと思うならどこかで一線を引き、相手の人格を尊重することも必要なのだ。
このように友人コミュニケーションは、相手との「一致」や「類似」に魅かれる側面と、それぞれの「差異」や「個性」を認めあう側面をつねに伴っている。
第一の側面だけでは濃密な恋人同士の関係のようだが、といって第二の側面だけでは、普通の知人同士の関係とあまり変わらなくなってしまうだろうから。きっと。
感想
二つの側面とは、おもしろい指摘だと思いました。
距離感を使い分けるのが友人と解釈しました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ