こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 恋愛至上主義と友情の周緣化
男女の恋愛にはあいかわらず高い関心が寄せられている。
書店の棚にはデート向けのガイドブックや恋愛関連の書籍がつねにぎっしりと並んでいるし、占いや開運グッズ、婚活イベントや見合いパーティといった恋愛ビジネスも盛況だ。
なかでもクリスマスは、世の中が恋愛一色になる日といっても過言ではないだろう。
12月に入るやテレビからクリスマスソングが洪水のように流れ始め、イブの日ともなれば街中カップルだらけで、ひとり身の人間はじつに肩身の狭い思いをさせられるからだ。
もちろんクリスマスを友人たちと過ごす若者もたくさんいるが、この日くらいは男や女だけで集まるのは避けたかった、と思う人のほうがやはり大多数ではないだろうか。
しかし、クリスマスが恋人と二人きりで過ごす特別な日として定着したのはじつはいまから20年ほど前のことであり、それまでの日本人にとってクリスマスは、花見や正月と同じように、家族や友人が集まって騒ぐパーティにすぎなかったのである。
堀井憲一郎によれば、「クリスマスは恋人とホテルで過ごすべし」という特集が女性雑誌に登場するのは1983年であり、そうした認識が男性側にも浸透するのは80年代後半のことだという。
だからこのころの雑誌には、クリスマスを女友だちとペンションで過ごすことを提案する記事も堂々と載っていたのだ。
だがその後企業やメディアが「クリスマスは恋人たちの日」という言説を流しつづけることで、クリスマスを友人と過ごすことは、極力回避すべき不幸な事態と見なされるようになったのである。
そして気がつけば現在の社会には、なにをおいても異性関係を優先する思考がすっかり根づいてしまったように思われる。
たとえば、最近では小学生のころから男女交際を始める子も珍しくないし(もちろん全体からみればごく一部だが)、仕事が充実していても結婚相手のいない女性は「負け犬」などと呼ばれて揶揄されるようになっている。
私たちも内心では、思春期を過ぎても同性とばかり仲良くしている連中を見下し、中年になっても独身でいる者を薄気味悪いと感じることがあるのではないだろうか。
だがクリスマスの例が示すように、誰もがいつでも異性に発情しているということが当然のように語られるようになったのは、それほど昔のことではない。
私たちの社会はこのあいだまで、友人とのかかわりを男女の恋愛と同じくらい大切に考えてきたはずなのだ。
むしろ歴史的に見れば、愛情や信頼というものを、性を基盤とする人間関係(恋人と家族)だけに限定しようとするいまの社会のほうが特殊といっていいのである。
感想
企業やメディアが「クリスマスは恋人たちの日」という言説を流しつづけることで、クリスマスを友人と過ごすことは、極力回避すべき不幸な事態と見なされるようになったという箇所がおもしろかったです。
薄々は感じていましたが、クリスマス商戦のために、マスコミや企業が創り出したものだったようです。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ