とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

 嫌われる友情

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 嫌われる友情

 


友人とのかかわりは、家族や恋人とのかかわりと同じく、私たちにとってもっとも日常的なコミュニケーションの一つといえるだろう。

 


たとえば私たちは、クラスメイトとお喋りしたり、サークルの仲間とスポーツを競いあったり、会社の同僚と酒を飲んだり、先輩から仕事のコツを教わったり、町内会の親睦旅行に出かけたり、近所の奥さん連中と噂話に興じたりするなど、日常生活のさまざまな場面において、多種多様な友人たちと親密な関係を築いている。

 


とくに学生や独身者の場合、友人関係は日常生活の大きな比重を占めていよう。

 


しかしいまの社会全体を眺めると、異性に好かれるために努力したり、親の愛情が感じられなくて悩んだり、理想の相手を求めて婚活に励んだりしている人はたくさんいるが、友人との親密なかかわりを切実に求めている人は少なくなっているように思われる。

 


むしろ肉親でも恋人でもない人間と深くかかわることを敬遠する人、あるいは男同士や女同士が親しく交わることを気持ち悪いと感じる人のほうが多いのではないだろうか。

 


たとえば、最近の若者は友人と深くかかわることを避けるようになったとよくいわれるが、世論調査をみると、じっさいには 1970年代以降ほとんどの世代で、互いの事情に踏み込まないドライな友人関係を好む人の割合が高くなっていることがわかる(NHK 放送文化研究所編 2004)。

 


友人同士でも本音や深刻な話題を話せない若者が増えたのと同じように、職場や隣近所の人たちと個人的なかかわりをもちたがらない大人も確実に増えているのである。

 


また言説のレベルでも、同性間の親密な交わりを否定的にとらえる議論が眼につくようになった。

 


たとえばコラムニストの辛酸なめ子は『女子の国はいつも内戦』(2008年)で、日本の女子学生がつねに派閥を組んで登下校からトイレからランチまで一緒に行動する様子を皮肉たっぷりに記述し、そうしたベタベタした友人関係からいかに脱すべきかを説いている。

 


またフェミニズム批評では、男同士の友情を描いた小説や映画作品が、男性共同体(ホモソーシャリティ)の支配と女性の社会的排除を正当化するものとして批判的に分析されている。

 


少なくとも知的な言説空間のなかでは、男同士・女同士の友情は手放しで肯定されるものではなく、「地獄」とか「幻想」といったネガティブな言葉で語られるものになりつつあるようなのだ。

 


感想

 


確かに友情が軽視されている風潮はあると思いましが、それはなぜかという疑問は残りました。

 

 

 

下記の本を参考にしました 

 


『コミュニケーションの社会学

 長谷 正人 他1名

 有斐閣アルマ