こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 悲劇と喜劇
ここで改めてこう問いかけてみるのも無駄ではないはずだ。
人生とは悲劇なのか、それとも喜劇なのか?
ある意味で、この問いに答えることは簡単だ。
それは、「どちらでもある」ということである。
人生は、なにごとも気の持ち方しだいであり、同じ経験が悲劇的にも喜劇的にもとらえられる。
どうせそうなら、物事は楽しいほうにとろうとしたほうがいいだろう。
たしかにそれは、一つの人生訓としてはその通りに違いない。
しかし、もう少しこの問いに踏みとどまってみよう。
物事は、どのようになったとき、悲劇になり、また喜劇になるのだろう。
悲劇と喜劇は、物語(ドラマ)の種類としてどう区別されるのだろうか。
思想家の W. ベンヤミンは、あるエッセイのなかで、その区別を「運命と性格」という対比で表現している。
悲劇は、運命と対峙する人間の姿を描く。
たとえば、ギリシャ悲劇などのように、主人公の英雄的な行為が思いもかけぬ運命のいたずらで悲劇的な結果をもたらし、彼を苦悩させるといったストーリーが典型的である。
それに対し、喜劇は、日常的なものである。
そこには、英雄のような突出した存在は登場しない。
むしろお金にきたないとか無類のお人好しであるとか、欠点にせよ美点にせよ、多くの人が多かれ少なかれもっていそうな特徴を極端に誇張したような人物が登場し、そこに恋愛、結婚、仕事、親子の確執といった身近な出来事がからんでストーリーが進んでいく。
ベンヤミンのいう性格とは、いまあげたような特徴、そしてその特徴を体現するような喜劇中の登場人物、つまり私たちにもわかりやすくいえばキャラクターのことである。
哲学者 H. ベルクソンも、有名な『笑い』という本のなかで、同じような指摘をしている。
喜劇の目的は、「性格、すなわち一般的タイプを描写すること」である。
それは、悲劇などと違っていて喜劇が、「芸術と生活との境界」にあることからきている。
要するに、喜劇というのは、とりわけ社会に密着した芸術のスタイルであり、そのキャラクターは、観客によってつねに社会に照らしあわされることでリアリティを獲得し、輝きを発するものなのである。
感想
悲劇と喜劇にはコラムのような側面があるかもしれないと思いましたが、何故違った側面があるのかという疑問は残りました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ