こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 コミュニケーション的行為
Aくんは(先生の私に相談もなく!)、まず「コミュニケーション」という言葉がタイトルについた分厚い本を書いた社会学者に話を聞くことにした。
『コミュニケーション的行為の理論』の著者、ユルゲン・ハーバーマス(1929~)である。
ハーバーマスは、いきなり訪ねてきたAくんが「やさしさコミュニケーション」に悩んでいることを話すのを聞いてから、とてもやさしくまじめな表情で、ていねいにこう語り始めた。
私(=ハーバーマス)が「コミュニケーション」概念に注目したのは、一人の人の「意識」を基盤にして考える「意識哲学のパラダイム」を反省するなかでだった。
社会を作るのに、意識をもった人がモノを生産するという「成果」を志向する行為(「道具的行為」)は不可欠だ。
だがそれは一人ではできず、「成果」志向で他人とかかわる「戦略的行為」も重要となるだろう。
しかしこれでも社会はできない。
「道具的行為」「戦略的行為」のような「成果」志向とは違う、相手を「わかる」=「了解」を志向する行為があってはじめて社会は成立するのではないか。
この「了解」志向の行為を、コミュニケーション的行為」と呼ぼう。
では、「コミュニケーション的行為」にとって大切なことはなにか。
「成果」をめざす行為ならそのためにどれだけ合理的な手段かという「目的合理性」が基準となるだろう。
だが、コミュニケーション的行為では別の基準、「コミュニケーション的合理性」が必要ではないだろうか。
これは、「究極的に強制をともなわず議論によ
って一致でき、合意を作り出せる重要な経験に基づき、これによって各人は最初の主観的な考え方を克服して相互主観性が保証される、という合理性である(ハーバーマス 1981 =1985: 33-34)。
感想
社会を作るのに、相手を「わかる」=「了解」を志向する行為があってはじめて成立するのではないかとう視点がおもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ