こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 いじめとコミュニケーション
「いじめる-いじめられる」という、逃げようにも逃げられない苦しい関係を通して子どもたちは彼らなりに学校のクラスに血を通わせようとしているのではないか。
いや少なくとも誰かをシカトすることも、靴を隠すことも、意地悪を言って困らせることも、ある感情を他者に向かって伝達するコミュニケーションの一種であることは間違いあるまい。
そして、つまり私たちは、コミュニケーションによって人間同士がわかりあうことが人間関係を良くすることだというタテマエの神話から、いい加減に解放される必要があるだろうということだ。
「いかに私たちはコミュニケーションによって相互理解にいたるべきなのか」という常識的な問題設定に疑問を付し、たとえいじめや暴力や自殺のような辛い事実であっても、そのなかに人間が互いに葛藤しながらコミュニケートしている営みの豊かな表情を読み取り、そこで人間がなにをしようとしているのかを明らかにしたい。
そして私たち自身を、不自由なタテマエとしてのコミュニケーション神話から解き放ちたい。
感想
コミュニケーションによって人間同士がわかりあうことが人間関係を良くすることだというタテマエの神話はあるかもしれないと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ