こんにちは。冨樫純です。
「異文化理解と常識」についてのコラムを紹介します。
アメリカ人の自己主張の強さはどこから来ているのか、疑問に思う人は多いと思います。
ぼくもそのひとりです。
植民地支配からの独立を成し遂げたという歴史的背景はあると思います。
異なる文化に生きる人は、異なったものの見方、考え方をしているのではないか……。
仕事や留学などで欧米社会での生活を経験した人なら誰しも、こうした思いをいだいたことがあるのではないだろうか。
たとえば、アメリカの学校では、授業中に進んで自らの意見を述べることが非常に重要で、発言の少ない生徒(学生)は授業内容を理解できていないとみなされてしまう。
さらに、留学後間もない日本人の生徒が思いきって発言しようとしても、アメリカの生徒たちの発言のタイミングはあまりに速く、前の誰かの発言が終わるか終わらないかのうちに、もう次の誰かが言葉を発している。
日本人生徒はしばしばその勢いに圧倒され、単なる「言葉の壁」のみならず、周囲への気の遣い方や間のとり方の違いという「もう1つの壁」にも突き当たることになる。
異文化にふれることによって感じるこうした小さな違和感は、日常生活のさまざまな場面で見いだされ、枚挙にいとまがない。
人は、知らず知らずのうちに、自らが身をおく社会の慣習をあたりまえで唯一の「常識」として認識し、別の社会には自分たちと異なったものの見方、考え方があることを忘れてしまう。
しかし、私たちが生きるこの世界には多様な文化をもつ社会があり、人々の考え方もさまざまに異なっている。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名