とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

性は男女の二つだけではない

こんにちは。冨樫純です

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  性は男女の二つだけではない!

 


「女性問題」の講演などに呼ばれると、講演に先立って挨拶をする地方自治体の男性首長たちの、次のような発言に出会うことがよくある。

 


「この世には、男と女という二つの性しかないわけですから、男女がお互いの特性を相互に理解しあいながら、ともに助けあっていかなければならないと思います」

 


ここには、たぶん二重の意味で、「セックス」と「ジェンダー」の問題についての無理解がひそ

んでいる。

 


一つは、男女の性というものを無前提にまったく異なるものとしたうえで、両者の相互理解を語っているという点である。

 


確かに、セックス(生物学的な性)の面で、男女は異なっている(とはいっても、生物学的に見ても、男女のが似ている部分は、違っている部分よりもはるかに多いのだが)。

 


しかし、こうした発言は、セックス の違いをそのままジェンダー(文化的・社会的な性)の領域にまで拡大しているような印象を与える。

 


男性の中には、社会的・文化的な性の区分を、生物学的性差の延長で考えている発想が、まだまだ根強く残っているからである。

 


前提抜きで「男女の特性」という言葉が使われる

とき、それは、結果として、現状のジェンダー構造=「男が外で公的な仕事を、女はそれを家庭から支える」という「性別役割分業」の仕組みを、そのまま承認しているようにしか聞こえないからである。

 


もう一つの問題は、性というものを、男と女と

いうだけに限定して考える傾向である。

 


セックスの面でも、この世は、男と女だけで成り立っているわけではない。もっと多様な性が存在するのである。男性器と女性器とをあわせもった「両性具有者」は、古代から存在していた。

 


インドにおける両性具有者「ヒジュラ」についての本も、石川武志著『ヒジュラ』(青弓社)や大谷幸三著『ヒジュラに会う』(ちくま文庫)など、最近はよく目につくようになっている。

 


もともと共同体において聖なる役割を担ってきたヒジュラだが、現在では、セックス・ワーカーとして都市で稼ぐために性転換した「ヒジュラ」も多数存在しているようだ。

 


また、染色体の面で、XYYとY染色体を通常の男

性よりも一つ多くもったいわゆる「超男性」や、逆に、X染色体を三つ以上もっている「超女性」の存在も報告されている。

 


感想

 


たしかに、上の公務員の発言は違和感を感じるようになりました。

 


社会学ジェンダー論を少しでも学んだ成果だと思います。

 


男性学入門』 

 伊藤 公雄

 作品社

 

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