こんにちは。冨樫純です。
「コミュニケーションとは」についてのコラムを紹介します。
自明のことが書かれてはいますが、それを深掘りすることはなかったので、おもしろそうだと思いました。
2007 年の「新語・流行語大賞」で候補の1つに挙げられたのが、「KY」だった。
現在では、もはや死語の部類に属するが、当初は「空気を読め」の意味で使われていたものが、「空気を読めない(人)」という否定的ニュアンスに転じて広まり、当時盛んに使われた。
仲間うちの同質性を強く求める日本社会、特に 10 代を中心とした世代では、「KY」であることが社会的な不適格者であるかのように語られ、同調が強要されたり、イジメの原因にまでなった例もあるという。
こうしたおもしろ半分のとりあげられ方をしたことは明らかに問題であるが、場の雰囲気を察知して適切に対応したり、言葉にならない相手の意図を汲み取ったりする能力が求められるというその事実は、コミュニケーションのもつ本質的な特徴をよく表している。
なぜなら、コミュニケーションとは、言葉で表現された内容を正確に伝え、理解することだけを指すものではないからである。
会話ひとつを例にとって、話し手の表情やしぐさ、あるいはその人のおかれた立場や役割までをも考慮しながら、感情の状態や意図を推察することが聞き手には求められる。
また、みんなが押し黙っていて重苦しい雰囲気のときに、さらに暗い気持ちにさせることは、もちろん言うべきではないが、だからといってから騒ぎすればよいというものでもない。
こうしたことがいずれ当然のこととして人々に了解されているのである。
「言わなくてもわかるはず」「以心伝心」といったコミュニケーションのあり方は、日本文化に限ったものではない。
相手の心理状態を推測し、社会的役割や状況に配慮することが、良いコミュニケーションの決め手となるのは、どの文化にも多かれ少なかれ共通することである。
では、こうしたコミュニケーションの特質は、どのような心理過程と関連しているのだろうか。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名