こんにちは。冨樫純です。
「人類の永遠の課題」についてのコラムを紹介します。
戦争やテロは減らすことはできるかもしれませんが、無くすことはできないと改めて思いました。
2001年9月11日にアメリカ合衆国の各地で起こったイスラム過激派による同時多発テロと、その後に起こった「対テロ戦争」は、21 世紀初頭の歴史上の重大事件として、おそらく後世の人々にも語り継がれていくことだろう。
この事件とその後の一連の経緯を通して私たちは、「テロリスト」といった、境界線が必ずしも明確でない集団が相手でも、「戦争」が起こることを目のあたりにすることになった。
その「テロリスト」たちが敵視する相手も、伝えられるところによると、「アメリカ中心主義」あるいは「ユダヤ・キリスト教社会」という、これまたかなり抽象的なものである。
過去の長い歴史の中においても、こうした目に見えるようで実はよく見えない「敵」に向かって突進していったために失われた、尊い命がどれほど多くあったことだろう。
近代以降、戦争といえば、国民国家や民族集団など比較的明確な実体をもつ集団の間に起こるものだと考えることに慣れていた私たちは、象徴的な集団やカテゴリーの間にすら、世界規模での紛争が起こりうることをあらためて思い知ったのである。
世の中を「うち」と「そと」とに分けてみる服が備わると、そこには摩擦や対立が容易に生まれる。
身近なところでは家族や親族職場の部署同士といった日常的な関係の中でのいざこざから、大規模なものでは人種や社会階層の間に起こる偏見と差別、さらには上で述べたような熾烈な戦争に至るまで、集間の葛藤にはさまざまな種類がある。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名