こんにちは。冨樫純です。
「手続き重視の心理と「公正さ」の判断」についてのコラムを紹介します。
確かに、政治や司法の場で、手続きが重視される
ことがあるのはわかりました。
でも、それがなぜなのかという疑問は残りました。
人間は、自分がどのような利益や損失を得たかという、交換の結果だけをみて「フェアだ」とか「正義だ」とかを主張するとは限らない。
むしろ、どのような手続きを経たかが、公正さの判断で重視されることがある。
つまり利益の分配的公正だけでなく、決定の手続き的公正が問われるのである。
現に、組織や集団において下された決定が、自分たちに利益をもたらすものであることが明白な場合ですら、決定までのプロセスに納得がいかないというだけの理由で、反対意見が出されたり決定が覆されたりすることがある。
特に司法の領域では、訴訟法の詳細で膨大な体系をみればわかるように、手続き的公正が重大な意味をもつ。
リンドとタイラーによる優れた論考が示すように(Lind & Tyler, 1988)、法的な紛争解決では、その結果が自分にとって有利・不利のどちらだったかだけでなく、手続きの正当性に関する知覚が、結果への満足度を左右することが多い。
日本でも、民事訴訟の当事者を対象とした大規模な面接調査が行われている。
その結果によると、裁判の結果に対する満足度は、結果の有利、不利にも当然影響されるが、司法制度全体に対する満足度はむしろ、手続き的公正の知覚に左右される(Ohbuchi et al, 2005)。
法以外の領域でも、手続き的公正は重要な役割を果たす。
特に集団における決定と、決定権をもった「権威」(authority)に対する評価や満足感は、手続き的公正の判断に影響される。
たとえば、政府や行政当局の施策を市民が支持するかどうかも、手続きの公正さが鍵を握ることになるのである。
紛争解決であれ集団意思決定であれ、その結果をコントロールするには多大な労力を要するし、難しい作業である。
それに対し、正当な過程を経て決定へと運ぶようにコントロールを発揮することは比較的容易である。
これが、手続き的公正が重視される理由であると考えられている。
実際、決定者が自分の立場を尊重してくれたか、十分な発言の機会を与えてくれたかといった、「過程コントロール」に関わる知覚が、満足感の大きな要因となる。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名