こんにちは。冨樫純です。
「ハンムラビ法典」についてのコラムを紹介します。
古代オリエントの時代に、現代の刑法の考え方が生まれていることに驚きました。
メソボタミアの都市社会では伝統的に社会正義(秩序と公正)の確立と社会的弱者の保護は欠くことのできない為政者の資質と考えられていた。
このことはウル第3王朝以降の歴代の王たちによる一連の「法令集」編纂事業(「ウルナンム法典」、「リピト·イシュタル法典」、「ハンムラビ法典」など)によって具体化された。
1901年スサ(イラン西南部)で発見されたハンムラビ「法典」碑は、高さ約2.25mの黒色石碑であり、頂上部には正義と裁判を司る太陽神シャマシュから権力を象徴する「棒と縄」を授けられるハンムラビ王の姿が浮き彫りにされている。
模形文字で書かれた碑文部には、 神々の信任により統一支配を確立したハンムラビ王の偉功と社会正義の公正なる社会の実現をうたった前文に続き、全282条がならぶ。
その内容は裁判手続きに関連するものからはじまり、今日でいうところの刑法、民法、家族法など、都市生活に必要な規則を多岐にわたって規定した。
刑法では「目には目を、歯に歯を」の諺で有名な同害復讐法と身分法の原則が採用されている。
ただし、ハンムラビ法は決して個人による 「血の報復」を容認するものではなく加害者に対して国家が被害者にかわって司法権を行使し、地縁的な人間関係を基本とする都市社会の生活を維持しようとした治安法に分類されるべきであることに留意すべきである。
下記の本を参考にしました。
『新 もういちど読む 山川世界史 』
「世界の歴史」編集委員会 (編集)
山川出版社