こんにちは。冨樫純です。
独学で法哲学を学んでいます。
そこから、関心のある法哲学的問題を取り上げて紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
問題 犯罪者を薬物で改善してよいか?
犯罪者に対してどのような処遇をすることが望ましいのだろうか。
犯罪者は悪いことをしたのだから、一定の権利を制約されるのはやむをえない。
したがって、一般の人に対して行うことが許されない居住、移転の自由(憲法22条1項)や、財産権(憲法29条1項)などの制限を犯罪者に課すことが許される場合もあるだろう。
しかし、犯罪者であっても、あらゆる権利を剥奪されるわけではなく、犯罪者に対してであれば、何をやってもよいというわけでもなかろう。
それでは、どのような刑罰の方法であれば道徳的に許されるのだろうか。
2012年5月23日の「中央日報」(日本語版)によると、2012年、韓国において「性暴力犯罪者の性衝動薬物治療に関する法律」に基づき、一人の性犯罪者に対して「化学的去勢」の処置が実施された。
化学的去勢とは、薬物の注射によって、男性ホルモンのメカニズムを調整し、性欲自体を抑制しようとするものであり、 性器を切除するといった「物理的去勢」から区分される。
化学的表勢は、韓国だけではなく、アメリカのいくつかの州や北欧などでも実施されている。
また、日本においても法務省(法務省 2006)で検討したこともあったようである。
問題は、このような刑罰の方法は許されるのか、ということである。
化学的去勢の実施国においても、このような処置が道徳的に許されるのかといった問題については、激しい論争が展開されているようであり、刑罰の方法に関して考えるうえで、現在における議論の焦点の1つとなっている。
化学的去勢は50年前であれば、夢物語に過ぎなかったかもしれない。
しかし、脳科学などの進展にともない、脳の機能に対する理解が深まるとともに、その評価はともかく、化学的去勢は現在においてはわれわれの選択肢の1つとして登場しているのである。
たしかに化学的去勢は多くの人にとってはおぞま
しいものであろう。
しかし、おぞましいか、おぞましくないかは、慣れによる部分も少なくない。
日本において行われている刑罰の方法の主たるものは自由刑と罰金刑であるが、これらが実際に行われており、馴染み深いというだけの理由でその正当性を認めたり、化学的去勢が(少なくとも日本においては)現実には行われておらず、馴染みがないというだけの理由で考察の対象から外したりすることは哲学的な態度とは言えないだろう。
両者を含めて哲学的に吟味することは法哲学にとって重要な課題の1つである。
感想
犯罪者を薬物で改善してよいと思いました。
性犯罪者は再犯率が高いと言われるし、刑罰の一種だと考えられるので。
下記の本を参考にしました
『問いかける法哲学』
瀧川 裕英著