こんにちは。冨樫純です。
本を紹介します。
①この本を選んだ理由
『あぶない法哲学』常識に盾突く思考のレッスン
住吉 雅美著 講談社現代新書
で更に勉強したい人のお薦め本として紹介されていて、読んでみようと思いました。
②こんな本です
『ブリッジブック法哲学』第2版
長谷川 晃 他2名
法哲学学習の基礎体力づくりのために、広大な法哲学の中からキー概念を厳選する。
根拠に遡り、法哲学の基本的な考え方を伝える。
多彩な素材を駆使して“法哲学の世界”を描き出す。
③こんな言葉が印象に残りました
少し長いですが引用します。
臓器売買とは逆に、今日の日本では人体の一部の無償提供は禁止されていない。
献血や、骨髄や腎臓の提供はむしろ立派な行動だと考えられている。
ところが、臓器の譲渡が有償で行われるのは禁止されている。
だがそれはなぜだろうか?
ここで臓器移植について人間を3種類に分類してみよう。
ここでは臓器移植が随意的に、また提供者の生命を奪うことなく行われると想定しておく。
第1は、臓器を無償で提供する(贈与する)人である。
第2は、臓器を有償で提供する(売る)人である。
そして最後に、第3の人は、無償であれ有償であれ臓器を提供しない人である。
臓器を無償で提供する人は賞賛され、それを有償で提供する人は非難される(そもそも売買を許されない)わけだ。
だがどうしてそんな相違があるのだろうか?
前者の人は患者を助けたいという利他的欲求だけから出ている(実際には周囲からの圧力があるかもしれないが)のに、後者の人はそれよりも臓器の対価を得たいという利己的な欲求が強いからいけないのだろうか?
しかし、取引によって自分の利益を得たいというのは自然な欲求で、これを一般的に禁止していたら市場経済は成り立たない。
だが議論の都合上百歩譲って、臓器移植の場合は無償の贈与のほうが望ましいと認めてみよう。
しかしそうだとしても、臓器を無償で提供するほうが有償で提供するよりも賞賛に値する、と言えるにとどまる。
はじめから全然臓器を提供しない人と比べて、有償で提供する人が非難されるべき理由があるだろうか?
前者の人々は臓器移植を求めている人々から利益
を得ているわけではないが、その一方彼らに利益を与えているわけでもない。
これに対して、自分の臓器を売る人々は対価と引き換えにではあるが、その対価以上に臓器移植を求めている人々にとって望ましい選択肢を与えている。
臓器を売る人のほうが売らない人よりも社会のために役立っているのである。
(本文より引用)
④この本が気になった方への2冊はこちら
『はじめまして、法学 』
身近なのに知らなすぎる
「これって法的にどうなの?」
遠藤研一郎著
ウェッジ
『僕らが生きているよのなかのしくみは「法」で わかる』~13歳からの法学入門~
遠藤 研一郎著
大和書房
⑤感想
ぼくも臓器売買の何がいけないのか、よくわかりません。
倫理的にいけないなら、その説得力のある根拠が欲しいです。
興味を持ってくれた方はいるでしょうか?
興味を持った方は、是非読んでみてください。