とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

恐喝合法化で犯罪が減る?

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  恐喝合法化で犯罪が減る?

 


ほとんどの人が、脅しは不道徳だと考えている。 「暴力的な権利の侵害」についての一般的な見解は、暴力そのものはもちろん、脅しをも含んでいるからだ。

 


たしかに盗賊が旅人に声をかければ、それはただちに暴力的な権利の侵害になるだろう。

 


ここで「脅し」の本質を考えてみよう。

 


脅しの内容が暴力的なものであるとき、その脅しを非難するのは正当である。

 


なんぴとも、他人をいきなり殴りつける権利を持ってはいない。

 


恐喝は、恐喝する者とされる者のあいだに特別な関係が存在する場合にのみ違法となりうる。

 


たとえばある人が、守秘義務を信じて彼の秘密を弁護士に打ち明けたとする。

 


この弁護士がその秘密を使って彼を脅せば、それは顧客との契約を破ることになり、明らかに違法である。

 


しかし、秘密を知ったのが契約上の義務を負わない第三者であれば、彼が沈黙を売ろうとすることは違法とは言えない。

 


さらに言えば、恐喝は社会に対してよい効果を発揮しさえする。

 


たまたま網にひっかかってしまった不幸な犠牲者を除いて、恐喝者は通常、だれから金を巻き上げようとするのか?

 


その標的は、主として二つのグループに分けられる。

 


ひとつは、殺人犯、強盗、詐欺師、横領犯、 レイプ犯などの犯罪者グループである。

 


もうひとつは、それ自体では違法ではないものの、多数派の慣習や道徳に反する行為を行っている人々、同性愛者、変態、性倒錯者、不倫のカップルなど、である。

 


恐喝は有益な、しかしそれぞれ異なった効果をこのグループにもたらす。

 


犯罪者に対しては、恐喝や脅しは犯罪にさらなるリスクを加えることで抑止力としてはたらく。

 


どれだけたくさんの匿名のタレコミ―その価値はどんなに高く評価してもしたりないほどだ。

 


直接的にせよ間接的にせよ、恐喝者から警察に届けられることか。

 


たった一人で犯罪者が、恐喝や密告を恐れ、犯罪者仲間に助力を求めるのをあきらめて、実行するよう余儀なくされたことか。

 


さらには、犯罪に手を染めるすれすれのところにいる人たち— 経済学者なら 「犯罪の限界効用曲線上の人々」とでも言うだろう―のことを考えてみよう。

 


彼らはほんのささいなきっかけで後戻りできない道に踏み出してしまうのだが、恐喝や密告の恐怖が、ときには犯罪を思いとどまらせる最後の防波堤になることもある。

 


もし恐喝が合法化されれば、間違いなく犯罪に対する抑止効果は上がるだろう。

 


合法化は確実に恐喝を増加させ、犯罪者集団はこのあらたな略奪者の登場に震えあがるにちがいない。

 


犯罪の発生を抑えるもっとも効果的な方法は、罰則の強化ではなく検挙率を上げることだと言われる。

 


この話題は死刑制度の是非に関する議論のなかで取り上げられることが多いのだが、ここでは、恐喝は罰則の強化と検挙率向上の両方の効果を発揮するということを指摘しておきたい。

 


犯罪者は、せっかくの戦利品を恐喝者と分け合うよう強いられることで、より多くの罰を受ける。

 


さらに、警察や市民団体や自警団に恐喝者がくわわることで、逮捕される可能性も高まることになる。

 


多くの場合、恐喝者自身が犯罪者集団の有力な構成員であり、彼らは犯人を特定するのにきわめて有利な立場にある。

 


彼らの有用性は、マフィアに潜入した覆面捜査官―彼らは与えられた役割を演じなければならないをも凌ぐのだ。

 


感想

 


恐喝合法化で犯罪が減るというのは、極端な意見だと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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