こんにちは。冨樫純です。
「弔辞の社会学」についてのコラムを紹介します。
よく考えると死者に送る言葉に意味があるようには思えないが、あるとすればどんな意味があるのか考えてみたいと思いました。
人間の社会的行動や意識、その社会的集積を研究対象とする社会学において、死が考察の対象になるだろうか。
死はその瞬間の現象というより、この世に唯一の生を受けた個々人が死にゆく過程、それを取り囲む家族や専門家との間で起こる相互行為である。
いわば生を全うするための最後の社会的行為が死であるともいえる。
同時に、死後の世界や死者のイメージをどうとらえ、その影響が生者にどう及ぶかは、宗教を例として、生者たちの生活世界を構成する重要な要素でもある。
生と死をめぐる社会的人間関係、生者と死者の想像上の相互関係という形で、社会学は死を研究対象としうるといえる。
生者と死者の関係を象徴する1つが、葬儀における弔辞である。
一般に日本の多くの葬儀において、弔辞は死者に向けて語られる。
死んで不在なはずなのに、死者は私たちの近辺にいて、弔辞を聞いて理解できるものと考えられている。
だからこそ、「あなたをお見送りしなければならないことは、私たちのもっとも深い悲しみとするところです。 ○○さん、お疲れでしょう、安らかにお眠りください」と語りかけられる。
限りのある人生において、死者が不可逆的な死を受け止め、納得するために、生者は人物や性格の描写、短い伝記、彼·彼女の生きた時代を弔辞において語る。
弔辞は生者と死者のコミュニケーションの機会であるといえよう。
下記の本を参考にしました
『社会学』
新版 (New Liberal Arts Selection)
長谷川 公一 他2名