こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
死は社会的なもの
生物的な死は個人的な出来事ですが、死そのものは社会的な出来事です。
人の死の始まりをどこにおくのかという問題があり、脳死や堕胎なども一線を越えれば犯罪になります。
紙一重のところで、生死の基準が社会によって異なってきます。
普通人が死ねば周囲は悲しむわけですが、ところ変われば死を楽しむものにしている社会もあります。インドネシアのバリ島がそれです。バリでは賑やかな音楽を奏でる行列が道を練り歩き、お祭りかなと思い近づいてみると、実はそれがお葬式だったということがしばしばあります。
観光案内所でも芸能やお祭りの観光ツアーのスケジュールに、お葬式が組み込まれています。
エッと思うかもしれませんが、お葬式も観光資源なのです。
私たち日本人からすれば、「忌中」の言葉通り、死者は忌避され、周囲は喪に服してしめやかに振舞うべきという常識的感覚があります。
それではなぜお葬式が観光となるのでしょう?
貧しいからお葬式に観光客の金銭的な支援がいる
のでしょうか?
それは違います。 実は自分の家がこんな立派なお葬式ができるのだと、一族の威信や富を他の人びとに誇示するためなのです。
ですので「お祭り」と見間違うような派手な行列にして、みんなが来てくれてありがたいという感覚をもつのです。
感想
お葬式を観光にしたり、祭りにすることは、我々日本人の感覚からすると考えられないとぼくも思いました。
下記の本を参考にしました
『体感する 社会学』
金菱 清著