こんにちは。冨樫純です。
「巨大科学技術の政治性」についてのコラムを紹介します。
人類の進歩のための科学技術と言われることがありますが、政治に利用されると、その功罪はどうしても避けられないと感じました。
科学技術は立場のいかんを問わず、誰にでも役に立つという意味で、一見中立的に思える。
しかし、巨大化とともに大きな政治性を帯びうる。
巨大化につれて、膨大な研究開発費を国家や大企業に依存せざるをえなくなるから、自然科学者や技術者が政府や企業に対して批判的な見解を表明することは困難になる。
2つの世界大戦では、総力戦体制のもとで、多くの科学者が国家の戦争遂行のために動員された。
その典型例が、核兵器開発にあたったアメリカのマンハッタン計画である。
日本でも四大公害問題が表面化した際、有力大学の工学者は、企業側の加害責任を免罪するような発言を行ったり、被害者側に敵対するような行動をとった。
巨大科学技術は発展途上国への技術移転が困難でもある。
軍事技術や産業界と密着した「軍産官学複合体制」的なあり方への反省から、1970年代に「スモール·イズ·ビューティフル」や「等身大の科学」 「代巷技術」などの理念が提唱され、実践が試みられた。
太陽光発電や風力発電のような自然エネルギー開発は、その代表的な成功例といえる。
下記の本を参考にしました
『社会学』
新版 (New Liberal Arts Selection)
長谷川 公一 他2名