こんにちは。冨樫純です。
「社会的ジレンマと公共交通の衰退」についてのコラムを紹介します。
ぼくはマイカーで通勤していますが、それが「裏切り行為」あたると言われると、少し違和感を感じます。
個々人が自己利益を追求する結果、社会的に不合理な結果が帰結してしまう現象や、それを生み出す悪循環のメカニズムを社会的ジレンマという。
ゲーム理論でよく知られる「囚人のジレンマ」を3人以上に拡張したものである。
「社会的ジレンマ」は次のような構造をもつ状況である。
人びとが自己の効用を合理的に計算して行動する均質な個人である。
しかも、これらの人びとの間にコミュニケーションの機会や方法がなく、利害調整や相談ができないことを前提にすると、次の命題が成立する。
①ある社会システムを構成する各行為者は、それぞれ自己にとっての効用が大きい「裏切り行動」を「協力行動」 よりも選択する。
②したがって、全員が裏切り行動を選択する。
③各人は、その結果、協力行動を選択したときよりも少ない効用しか獲得できない。
公共交通の衰退のメカニズムにあてはめてみると、バスなどの公共交通を利用することが協力行動、マイカーやオートバイなど私的な交通手段を利用することが裏切り行動になる。
個々人にとっては、利便性が高く、いったん購入したあとは維持費が相対的に安いことから、裏切り行動を選択する誘因は高い。
こうして利用者が減れば、バスの採算性は低下し、運行本数が低下する。
同時にマイカーの増大にともなって道路は混雑するから、バスの定時性はますます損われ、バス離れが加速される(同様のメカニズムで日本各地で市電が廃止されていった)。
自動車の運転者も、交通渋滞や駐車場難などの社会的不利益を被る。
このようにしてマイカーなどの運転者自身を含め、社会的に不合理な結果が帰結してしまう。
高齢者や中・高校生のように、自動車やオートバイの免許をもてない人びとが存在し、彼らが本数の少なくなったバスの不便さのしわ寄せを引き受けることになる。
しかも、その影響は過疎的な地域の住民ほど大き
い。
公共交通の衰退によってもっともダメージを受けるのは、過疎地に住む高齢者や中・高校生などの社会的弱者である。
公共交通の衰退の場合には、裏切り行動を選択できない人びとが存在し、彼らがもっとも不利益を被るのである。
社会的ジレンマは、マイカー自粛運動などの啓発運動の限界を説明している。
公共交通の利便性を高める、税金を高くするなどによってマイカーを保有することの経済的誘因を引き下げるなど、公共交通の利用とマイカーの運転に関わる利得構造を変えて、 協力行動を選択することによる効用を高めるようにしなければならない。
下記の本を参考にしました
『社会学』
新版 (New Liberal Arts Selection)
長谷川 公一 他2名