こんにちは。冨樫純です。
「ルソーが残した『むすんでひらいて』」についてのコラムを紹介します。
日本の有名なこの歌とルソーが関係していることに驚きました。
ジャン=ジャック・ルソーは、1712年にスイスのジュネーブで生まれました。
父は裕福な時計職人でした。
しかし、母はルソーを出産して数日後に亡くなりました。
ルソーは母の面影を受け継いだ美少年として成長し、父に学んで盛んに読書をしたそうです。
けれどその父は、ルソーが0歳の頃に地元の貴族とのトラブルが原因で告訴され、ジュネーブを出奔してしまいます。
ルソーと彼の兄は孤児になりました。
兄は親類の人々によって、近所の職人の家に丁稚奉公に出されます。
しかし、奉公先を逃げ出したまま、行方知れずとなりました。
ルソーもジュネーブ郊外の牧師に引き取られたことを皮切りに、いくつかの丁稚奉公に出されました。
しかし、どこの場所でも、酷使と弱い者いじめが待っていました。それでもルソーは読書をすることで耐えぬきました。
けれど、その本さえも捨てられるような不遇な日々をすごすうち、彼は保身と自らの心を守るために嘘をついたり、小さな悪事を犯したりする少年になってしまいました。
そして5歳のとき、ささいなことから奉公先を飛び出します。
ルソーはジュネーブを出て南へ、イタリアのトリノに向かいました。
その地を放浪するうち、地元のローマ教会の司祭に保護されます。彼はルソーの一時的な落ち着き先として、美貌の貴婦人ヴァランスを紹介してくれました。
このことがルソーの人生を決定的に変革する契機となります。
母の愛に触れたこともなく、心をゆがませるような少年時代をすごしてきた5歳のルソーにとって、ヴァランス夫人の美しい容姿とやさしい笑顔は、母を感じさせ、同時に恋人をも感じさせたのです。
彼は彼女に夢中になりました。
ヴァランス夫人はその当時、9歳だったと伝えられています。彼女は最初、ルソーの強い思慕の感情を母親のように受け止めていましたが、やがて彼の恋情にも応えました。
それはルソーが20歳前後、ヴァランス夫人が10代半ばの頃でした。2人の愛の生活は、5年ほど続きます。
彼は初めて母の愛を知り、同時に恋人との生活の歓びも知ったのでした。ルソーは、明るい陽光を浴び
たように、夢中になって生きました。短い、けれど不思議な時間でした。
彼は夫人に導かれ、貪欲に読書し、勉強に励みました。ジョン·ロックやデカルトなども読破します。夫人が大好きな音楽も学びました。
夫人と別れ独立して生きるようになってから、彼はいくつかの音楽作品を作曲しています。
その中の一つ、オペラの「村の占い師」はパリの王宮でも公演されています。その中の歌曲が奇しくも、題名と歌詞を変えて、「むすんでひらいて」として日本の文部省唱歌になっていました。
下記の本を参考にしました
『哲学と宗教全史』
出口 治明著