こんにちは。冨樫純です。
「3割自治」についてのコラムを紹介します。
3割自治では不十分だと思っていましたが、このコラムを読んで、そうでもないと思いました。
日本は「3割自治」の国である、としばしばいわれる。
中学校や高校の教科書にもそう書かれ、一般的にもそのように指摘されることが多い。
日本において地方自治は不完全、不十分であるというニュアンスが込められている。
しかしながら、それが意味することはかなり不確かである。
「3割」が自治の程度として低い数字であるとするならば、何割が高い数字なのだろうか。
野球では、打率3割は、好打者の重要な条件である。しかも、 少なくとも理論的には10割という打率があり、その上で3割が高い打率として評価されるのである。
それでは、はたして「10割自治」というのは、存在するのであろうか、存在するとしてそれはどのような状態なのだろうか。
「3割自治」の第1の用法は、国税収入と地方税収入の合計に占める地方税収入の割合を問題にする。
しかしながら、この用法では、「10割自治」は国税収入がゼロのときに達成される。
仮にこの用法を認めるとしても、日本在住のアメ
リカ人政治学者リードがかつて指摘したように、日本の「3割」という数字は、他国に比べて決して見劣りするものではない(リード, 1986/邦訳 1990)。
第2の用法は、地方の財源に占める地方税収入の割合を問題にする。
日本では、地方の財源には、地方税に加えて国からの地方交付税交付金や補助金などの移転があり、地方税は地方の財源の3割から4割を占めるにすぎない。
この用法では、地方が行う仕事をすべて地方税でまかなっていれば「10割自治」ということになる。
しかしながら、「10割自治」がつねに3自治の充実した状態であるとはいえない。
たとえば、自治体の活動範囲がきわめて狭く (たとえば家庭ゴミの収集·処理だけ)、財源はすべて地方税である場合、「10割自治」である。
しかし、自治体の存在感はきわめて弱いといわざるをえない。
「3割自治」という言葉は、このように考えると、日本の地方自治は、何となく不十分だという印象を与えるだけの、中身のない言葉であるように思えてくる。
下記の本を参考にしました
『政治学』補訂版
(NewLiberalArtsSelection)
久米 郁男 他2名
有斐閣