こんにちは。冨樫純です。
「公共の利益」についてのコラムを紹介します。
原子力発電所関連施設、葬儀場などの建設計画に関して賛否が分かれますが、やはり、冷静になって、メリット、デメリットを比較検討することが大事だと思います。
都心を離れ、豊かな自然環境に恵まれた郊外に一戸建てのマイホームを建てた四郎は、役所の広報誌を見て得然とした。
わが家の数十メートル先の森林を伐採し、ゴミ処理場を建設する計画が持ち上がっているというのである。
家族のために無理をして30年ローンを組んで、やっと購入したわが家である。
こんなことがあってよいものか。何としても建設計画を撤回させなければならない。
役所が開催した住民説明会に乗り込んだ四郎は、たくさんの市民が建設反対に回っていることを知って心強く思った。
早速、建設反対のためのグループが立ち上がった。四郎はその参謀役として、同じような問題をかかえる日本各地の住民運動の組織にコンタクトをとった。
原子力発電所関連施設、空港や道路や鉄道、高層マンション、葬儀場など、さまざまな建設計画に関して全国で反対運動が展開していることにあらためて気づかされる。
やがて、建設反対のための署名集めが始まった。
ところが、中には反対運動に対して冷ややかな態度を示す住民もいて、四郎は困惑する。
ある日、一人の地元の若者が面と向かって四郎にこう言った。
「あなただって、ゴミを出しているじゃないか。それなのにゴミ処理施設に反対するのは、住民エゴ以外の何ものでもない」
「住民エゴ」この言葉は、四郎にとってはショックだった。確かに、近隣に福祉関連施設が建設されることに反対の意向を示す住民運動の事例に対し、四郎も釈然としないものを感じた。
だが、ゴミ処理施設の問題はどうか。処理施設受け入れ派に言わせれば、自分たちの出したゴミを自分たちの地域で処理するということにいさぎよく同意することこそが、公共の利益ということなのだろう。
しかし、このまま大量消費を続ければ、地球環境を破壊し、地球資源を枯渇させてしまうことは明
らかではないか。
そうであるなら、豊かな自然環境を将来世代に継承しようという自分たちの願いこそが、公共の利益にかなうのではないか。
公共の利益や公共の福祉といった観念は、政治的な問題を論じる際に、しばしぼ私的利益という観念と対比的に使われる。
だが、上で述べたように、個々のイシュー(争点)において何が公共の利益かという問題には、そう容易に結論は出せない。
公共の利益とは何か。それは結局のところだれの利益なのか。
下記の本を参考にしました
『政治学』補訂版
(NewLiberalArtsSelection)
久米 郁男 他2名
有斐閣