とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

政治家は有権者の代理人か?

こんにちは。冨樫純です。

 

「デモクラシーとは」についてのコラムを紹介します。

 

投票することがいかにも素晴らしいことに感じていましたが、そうでもないと思いました。

 

千葉市に住む30代のジローは、成人してから1度しか投票したことがない。

 

ジロー自身は「無党派層」 と呼ばれる有権者の一人だ。

 

多くの選挙では、候補者を公認する既成政党に魅力を感じなかったので、投票する気になれないのだ。

 

投票したのは、1998年の参議院選挙だけである。

 

この時は、日本経済が危機に直面しているのに、
9ヵ月間もそれを放置していた橋本首相と自民党に文句を言いたかったので、他の政党に投票したのである。

 

長野県に住むヒデキは、選挙には欠かさず投票している。

 

彼はまだ40代だが、父の跡を継いで土木関係の建設会社を経営し、地元の商工会議所でも活躍している。

 

彼は、自分たちの業界の仕事がうまくいくように、業界仲間の先輩を県会議員に担いでその選挙運動を手伝ってきた。

 

田中康夫知事が「脱ダム宣言」をしたときには、
県庁が発注する公共事業の数が減ることを心配した。

 

ヒデキは、県会議員や知事は自分たちのために働いてくれる公僕であり、自分たちが支持する代わりに、政治家が自分たちのために国や県の予算を、建設 土木事業に回してくれることを期待している。

 

その目的のために、ヒデキは選挙では必ず投票してきた。

 

ジローとヒデキを比較すると、ジローは無責任な無党派層の一人で、ヒデキは政治に関心もある政党支持層の一人というふうにも見える。

 

それでもジローは、首相が日本の経済をよくする仕事をしっかりとしていない場合には、首相を入れ替えようとして投票に行くのだから、その意味では本人として代理人である政治家を使おうとしているのである。

 

他方ヒデキは、本人として代理人である政治家を、自分たちの業界団体や地元の産業発展のために利用しようとしている。

 

ジローとヒデキは有権者としては対照的であるが、実は、上に述べたように二人とも政治家を本人である自分たちの代理人と考えた上で、投票行動を行っているという点では共通性がある。

 

だが、ジローのように無党派層で、ふだんは自分が投票に行かなくとも政治は動いていくと考えているような無責任(に見えるよう)な有権者にも、政治について発言する資格があるのだろうか。

 

それとも、ヒデキのように選挙には毎回必ず投票に行き、ある特定の政党の支持をしている有権者層だけが、デモクラシーを支える市民ということになるのだろうか。

 

デモクラシーの原理を唱えた、ロックやJ.S.ミルのような近世ヨーロッパの政治哲学者がデモクラシーを支える市民として想定していた合理的な市民像に照らすと、現代日本有権者は合理的な市民とはいえないのだろうか。

 

下記の本を参考にしました

 

政治学』補訂版
 (NewLiberalArtsSelection)
 久米 郁男 他2名
 有斐閣