とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

離婚を活用するとは?

こんにちは。冨樫純です。

 

「離婚をおそれない妻は強い」についてのコラムを紹介します。

 

離婚を彼女のように考えられる女性は少ないと思います。

 

結婚するなら、離婚できる力を持つという彼女の理論には、ものすごく説得力を感じました。

 

結婚して良かった、と思う理由の一つに、離婚という便利な切り札を手に入れられたというのがある。

 

多くの人が結婚に対して石橋を叩きすぎてしまうのは「離婚をするハメになる」のが怖いからだろうけれど、「離婚」という切り札が手に入ることこそ結婚の最大の魅力かもしれない、と思うほど、離婚という切り札は強力なアイテムだ。

 

はっきり言って、めっちゃ使える。


使いこなすとすごく快適。

 

その男の人のことを愛しているのなら、この切り札を手に入れた方が確実に有利だし、末長く円満な二人でいられる。

 

義母は、自分の息子(私の夫)について「あの子は本当に聞く耳を持たない」と言う。

 

彼女から、私と結婚する前の彼が家庭内で起こしてきた事件など、具体的なエピソードを聞いていると「やばい息子だな」「本当にクソみたいな男だね」と思うし、「私、そんなヤツと絶対家一族になりたくない!」という話になる。

 

義母の性格からして、とくに大げさな表現はしていないだろうし、それらのエピソードは本当にその通りだったんだろうなと信用しているのだけど、夫は私の言うことに対しては、かなり聞く耳を持っている。

 

義母の語る息子と私の夫が同じ人とは思えないほどに、私に対して波はものすごく聞き分けが良い子だし、言われたことを重要視する姿勢がある。

 

母親の言うことは聞かないけれど、妻の言うことはよく聞くのは、親子の縁はどうやっても切れないけれど、夫婦の縁は簡単に切れるからなのだと思う。

 

彼の親である義母と違って、妻である私には「じゃあ離婚するよ」という切り札がある。

 

この切り札が本当に、超絶強い。

 

そもそも、私にとって離婚のハードルはすごく低い。

 

全然できることであり、いつでも選べる選択肢だ。理由はたくさんあるけれど、最大のポイントは「帰るところがある」「迎えてくれる家族がいる」そして何より「経済力がある」というところだ。

 

「結婚をするときは、離婚できるカを持っていたい」ということは、夫と出会うよりもずっと前から「病気になりたくない、最期はポックリ死にたい」くらいの漠然とした理想像として持っていた。

 

そして私にとって「離婚できる力」とは経済力だった。

 

「平気で離婚ができる女になりたい」と思っていたから、婚活と並行して仕事もかなり頑張った。

 

その甲斐あって、離婚に必要そうに思えるスペックはすべて兼ね備えてから結婚することができた。

 

離婚によって、子どもに金銭面で嫌な思いをさせることはないし(離婚しようとしまいと、同じレベルもしくはもっと良い生活を用意できる)、両親は「みーちゃんの出戻りは大歓迎よ」と結婚前から言っている。

 

実家に戻れば夫と同い年で大体似たような背格好と身体能力を持つ弟がいるから、男手に関しても困らない。

 

キャッチボールも自転車の練習も問題なく行える。

 

お父さんがいないことでできない経験はとくに生まれないだろうし、授業参観も弟に付き合ってもらえば、他人はいちいち「あれってお父さん?」などと確認してこないだろう (配役として不自然でなければ。

 

人材として無理があると「あれ誰?」という意味をこめての「あれってお父さん?」が生まれる)。

 

「離婚は失うものが多いよ」と言れることがある。

でも、私には、離婚をして失うものなど一つもない。

 

離婚によって失うものは、たった一つ「夫」だけだ。

 

私の人生から彼がいなくなるだけ(離婚するときはいらなくなったときだろうから、失うものとしてカウントしない)。

 

離婚について考えると「わりと、それはそれでアリなんだよな」という感情しか湧かない。

 

今は彼のことが大好きだし、別れたい理由もないので「やだ!離れたくない! 大好きなのに!寂しい」という意味での離婚をしたくないがあるけれど、そういう色恋を抜いて考えると「全然いつでもできる」「なんにも困らない」と思うし、私にとって平気で選べる選択肢だなあと実感する。

 

そういうふうに思っていることを夫は知っていて、私が口にする「離婚」のリアリティを理解している。

 

だからこそ、私の持ち出す「離婚」という切り札はこんなにも効果的なのだと思う。

 

私が本当に離婚を恐れていないからこそ。

 

先日、友人と話していた際に「あなたって本当に特定の男に対する執着心が0だよね。うらやましい。どうしてそんなに執着しないの?」と訊かれた。

 

確かに私は、個人に対しての執着心が0だ。これは恋愛に限らずなのだけど「この人しかいない!」なんて相手は、この世に一人もいないと思っている。

 

どんな誰であってもその人の代わりはいるし、私の代わりもいくらでもいる。

 

いなくなれば、どうにかなる。

 

そう思っているのが普段から滲み出ているのか、逆に相手からは執着されやすい。

 

「この人には執着心がないから、自分が執着しないとあっさり終わってしまう」という危機感を与えるのかもしれない。

 

そして、この執着心のなさも「離婚」という切り札に力添えをしている感じがする。

 

条件が合わなければ、問題が発生すれば、嫌だと思えば、あっさりと俺のことを手放し、次のことを考えるだろう、この女は……と夫は常日頃から思っているのだろうし、そのことが彼ほどの聞かん坊にも「ちゃんと言うことを聞かなくは……!」と思わせることに繋がっているような。

 

彼は私に「嫌われたら終わる」と思っているだろうし、「本当に容赦なく嫌ってきそう」という印象を持っていると思うのだけど、それは当たっている。

「なんだかんだ好きでいてくれそう、結局許してくれそう、受け入れてくれそう(だってこの女は俺に執着しているから)」という安心感や期待を持っていないだろうし、実際、私にその寛容さはない。

 

義母の話を聞く限り、夫の聞く耳を持たないレベルは、本来は尋常ではない。

 

けれど、私にはちゃんと聞く耳を持っている。

 

離婚できる力をつけてから結婚して本当に良かったと思う。

 

そのおかげで彼は私の言うことをちゃんと聞いてくれて、だからこそ夫婦生活は円満なものになっている。

 

下記の本を参考にしました

 

『そうだ、結婚しよう』  
 愛され続ける非常識のススメ
 下田美咲
 毎日新聞出版