とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

神話=常識なのか?

こんにちは。冨樫純です。

 

『バルトの「神話作用」』についてのコラムを紹介します。

 

神話が日常生活の規範として機能していた時代もあるので、常識と結びつくのは納得しやすいと思いました。

 

構造主義者として知られるバルトというフランスの思想家が、「神話作用」ということばでおもしろいことをいっている。

 

バルトによれば、神話の重要な作用は、「歴史を自然に移行させる」ことだという(『神話作用』篠沢秀夫訳、現代思潮社、196ページ)。

 

ちょっと難しい表現だが、神話といっても、ギリシャ神話や日本神話のような神様の話ということではない。

 

バルトによれば、要するに現代の「神話」は、そ
の対象となるものごとを、「自然」なこと、つまり、当たりまえのこととして、人々が脆に落ちたと感じるようにさせるものだというのだ。

 

さらにバルトは、「神話はものごとに、説明の明確さではなく、確認の明晰さを与える」(189ページ)ともいっている。

 

当たりまえのこととして、「ああそうなんだ」と人々が納得し、それですませてしまう。

 

根拠や証拠が十分に示されていなくとも、「それも当然」とものごとを確認する材料を提供する。

 

バルトのいう神話とは、このように、私たちがものごとをどのように見ているのか、それにどのような説明を与えるのか、そうしたものの見かたを基礎づ

ける枠組みのことである。

 

しかも、そうした納得が本当に正しいのかどうか、それを十分に検証しなくても、世の中に通用するものの見かた、それがバルトのいう「神話」である。

 

私が「ステレオタイプ」とか「常識」と呼んでいるものは、バルトのことばを使えば「神話」ということになる。

 

したがって、複眼思考とは、現代における神話の作用を見抜くためのものの見かたといってもよいだろう。

 

下記の本を参考にしました

 

『知的複眼思考法』
 誰でも持っている創造力のスイッチ
 苅谷剛彦
 講談社+α文庫