こんにちは。冨樫純です。
「目撃証言と偽りの記憶」についてのコラムを紹介します。
刑事ドラマでは、目撃証言が決定的な証拠となって、事件が解決された、みたいなものがありますが、それがドラマの世界でのことだと、改めて思いました。
記憶の変容や間違いが大きな問題になるのは、誰かの記憶が他の人の人生に大きな影響を与えるときです。
犯罪捜査や裁判における目撃証言は、そうした記憶の代表的なものです。
犯人を特定し、犯罪の事実を証明するためには目撃証言が重要な意味をもちますが、目撃証言が非常に間違いやすく、変容しやすいものであることは昔から問題になってきました。
アメリカのロフタスなど、目撃証言のこうした問題に取り組んでいる心理学者は少なくありません。
目撃証言が間違いやすいのは、犯罪や事件を目撃することのストレスが記憶をゆがめやすいこと、目撃した事件についてのマスコミ報道や警察報道と記憶が混じり合いやすいこと、捜査官による誘導の影響などによります。
聞き込みでは事件を見ていないと答えた参考人が、その事件がマスコミで報道されると急に証言を始めたり、裁判前には犯人を特定できなかったのに裁判が始まると被告が問違いなく犯人だと証言したりする例のうちのかなりは、そうした変容の影響を受けています。
ありもしない事件や出来事の記憶がつくり出されることもあります。
アメリカでは1980~90年代に幼いときに実の親から性的虐待を受けたと訴える裁判が続発しましたが、そうした訴えの中にはまったく事実でないものが含まれていました。
虐待を経験していないのにもかかわらず、虐待を受けたという記憶を 「想起」 したのです。
これは心理的不適応の原因として幼児期の虐待経験を想定した心理士が、クライエントから虐待の記憶を引き出そうとしたことが原因とされています。
記憶の変容は、ときには何人もの人の人生を変えてしまうのです。
下記の本を参考にしました