とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

環境と開発のどちらを重視すべきか

こんにちは。冨樫純です。

 

予防原則」についてのコラムを紹介します。

 

以前から、環境と開発のどちらを重視すべきかと議論はありますが、そのバランスを取るのは難しいと改めて感じました。

 

環境の破壊や汚染は、発生後に回復を図ることは非常に困難であり、あらかじめ防ぐことが望ましい。

 

しかし、実際に環境悪化が起きていない段階で対策コストをかけにくいのも現実である。

 

予防原則とは、そうした事前(pre)の警戒として (cautionary)、対策をとるべきという認識を示すものであり、すでに1992年の國連地球サミットの「環境と開発におけるリオ宣言」 でも挙げられている。

 

同宣言の第15原則は、「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が (中略) 対策を延期する理由として使われてはならない」 としている。

 

環境悪化の予防的な措置に関しては、公害対策の経験から未然防止原則(prevention principle)が早くから重視されてきたが、これは因果関係の判明している問題において原因行為をあらかじめ排除すべきというものである。

 

それに対して予防原則は、環境悪化のメカニ
ムや因果関係が不確定であっても対策をとるものであり、それによって環境悪化の有無に関する挙証責任も実質的に転換される。

 

すなわち、予防原則とは、一つの価値判断なのである。

 

それによって、実際に問題であった場合も被害を最小限にとどめる可能性が生まれるが、他方で仮に問題でなかった場合にも相応の対策コストが発生することになるため、予防原則を適用するか否かが政治的紛争へとつながる。

 

具体的には、気候変動対策や遺伝子組み換え作物の認可、化学物質削減といった不確実性の高い課題において、主に欧州連合(EU) 諸国が予防原則を重視した積極的な対応に取り組んでいる。

 

他方で予防原則を非科学的な過剰反応であり、科学技術の進歩と利用を止めるものとする批判がある。

 

例えばアメリカは、気候変動に関しては対策コストの膨張を防ぐ意味をもつ「後悔しない政策」(no regret poli-cy)を主張し、また EU遺伝子組み換え作物の輸入を凍結した際には、安全性への懸念を隠れ蓑にした保護貿易主義だと強く批判した。

 

理念としては広まりつつある予防原則だが、政策に具体化することは非常に難しいのである。


下記の本を参考にしました

 

『現代政治理論』 新版
 川崎 修 他1名
 有斐閣アルマ