こんにちは。冨樫純です。
現在、哲学を勉強しています。独学です。
西洋哲学と東洋哲学の違いを、おおまかでいいので、知りたいと思い、調べてみました。
①「暇人がやり始めた」という意味では、西洋も東
洋も同じ
哲学というものは「暇人」によって生み出されました。
哲学の起源を語る時には、しばしばそういう風に言われます。
例えば、西洋哲学が生まれたのは、紀元前の古代ギリシャです。
じゃあその古代ギリシャはどんな国だったかというと、侵略戦争で手に入れた大量の奴隷を支配していた。
つまり、めんどくさい仕事は全部奴隷にやらせて、自分たちはゴロゴロニート生活を送っていたわけです。
そうなれば当然、この大量の余暇を使って、色々なことを考える人たちが現れる。
そうして西洋哲学は産声をあげたわけです。
そしてこれは東洋哲学も同じような流れを辿ります。
例えばインド。インドには元々ドラヴィダ人と呼ばれる人々が住んでいましたが、そこにアーリヤ人と呼ばれる人々が侵入。
紀元前1300年頃から、アーリヤ人がドラヴィダ人を支配し始めます。
その後アーリヤ人は、あの有名なカースト制(司祭、王族・貴族、一般市民、奴隷市民)を作り出します。
この時代の司祭の影響力は絶大でした。
何より人々が神話を信じていた時代ですから、神様の御機嫌を伺うことのできる司祭は、まさに最強の職業だったのですね。
そうしてカースト制の頂点に立つと、ゆるゆるニート生活をしていても、お金はがっぽりと手に入ります。
「あ〜暇だな〜〜」ということになる。
さて、勘の鋭い方はここで気づくかもしれませんが、まさに古代ギリシャとまったく同じような状況です。
西洋は、奴隷を働かせていたから、「あ〜暇だな〜〜」
東洋は、カースト制の頂点にいた司祭が、「あ〜暇だな〜〜」
つまり、西洋哲学も東洋哲学も、同じような暇人によって生み出されたものなのです。
② 議論を積み重ねて「真理」にたどり着こうとする
のが西洋哲学
西洋哲学には基本的に積み重ねというものがあります。
思想Aが生み出される→それを否定する思想Bが生み出される→AとBの思想を統合する思想Cが生み出される→それを否定する思想Dが生み出される……
と、このように、誰かが思想を生み出す時は、「既にある誰かの思想」が前提になっているのです。
しかし、そもそもどうしてこの実存主義が生まれたかというと、それはヘーゲルの哲学を前提としているからなんですね。
ヘーゲルはそれまでの西洋哲学を総合した大哲学者です。
ヘーゲルは、ざっくり説明すると、「弁証法によって人間は真理に近づいていく」と説明しました。
要するに、幾多の対立や矛盾を乗り越えることによって、世界は素晴らしいものになっていくんだという考え方です。
「《いつかは世界が良くなる》だなんて言われてもピンと来ねえわ。俺たちが考えなきゃいけないのは、《今・ここにいる俺たちがどう生きるか》じゃねえのか?」と。
西洋哲学は、真理を求めてきた人たちが、ある時は互いに賛同し合い、ある時は互いに議論を交わすことによって、段々と積み重なってきたものなんですね。
③ 最初に「真理」があるというのが東洋哲学
西洋哲学は、人々が「真理」を求めて議論を重ねていく過程だ、とご説明いたしましたが、東洋哲学の場合は事情が違ってきます。
何しろ、西洋哲学にとってあれほど垂涎の的であった「真理」というものが、東洋哲学には最初から存在しているのです。
例えば仏教を例に取るとわかりやすいですね。
仏教の開祖は、みんなおなじみ釈迦(ガウタマ・シッダールタ)です。
釈迦は人生の真理を探るために出家します。
そして菩提樹の下で瞑想し、悟りをひらいて仏陀(ブッダ)となります。
「ワイ、真理に到達する」というわけです。
つまり釈迦自身が真理になってしまうわけです。
西洋哲学側の人からすると「え?!」となってしまうことは間違いないですが、やはり東洋哲学には東洋哲学なりのやり方があるわけですね。
まず真理というものができあがる。
そしてそこからどうなるかと言うと、「仏陀はこう考えてたんだ!」「いやいや、こう思ってたに違いない!」と、解釈の論争になってしまうわけですね。
西洋哲学は「議論→真理へ」という道を辿りますが、東洋哲学は「真理→議論へ」となるわけです。
つまり、東洋哲学はとても宗教的なのです。
下記のサイトを参考にしました