とがブログ

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西洋哲学史の大まかな流れ

こんにちは。冨樫純です。

 

現在、哲学を勉強しています。独学です。

 

西洋哲学史の大まかな流れを知りたいと思い、調べてみました。

 

古代ギリシア・ローマ時代の哲学の流れ

 

紀元前6世紀ころ、まずイオニア地方を中心に、自然現象を神話ではなく論理的に説明しようとする哲学がはじまります。

 

タレスピタゴラスなどが問題にしたのは「万物の根源は何か」というテーマです。

 

エレア派のゼノンなどもこの問題を追求しました。

 

前5世紀には民主政社会の発達したアテネで、自然よりも人間に関心が向けられるようになります。

 

相対主義をとるソフィストを批判して、人間が追い求めるべき絶対的な真理を説いたソクラテス

 

師の説を発展させて理想世界イデアを設定したプラトンなどが有名です。

 

そしてプラトンの弟子アリストテレスが、自然への関心と人間への関心をぜんぶ含めた哲学を大成します。

 

論理的とはどういうことか、という方法論も含めて、彼はあらゆる問題に答えようと多数の著作を残しました。

 

その結果、つづくヘレニズム時代とローマ時代は、アリストテレスの答えようとした諸問題をさらに深く追求する方向で、哲学が発展しました。

 

②中世~近世の哲学の流れ

 

ところが、ローマ末期から中世にかけて、ヨーロッパはキリスト教世界となります。

 

これによって、真理を求め世界の本質を説明する活動は哲学から信仰に取って代わられます。

 

哲学は神学の下に置かれ、信仰を論理的に体系化することが哲学の問題となりました。

 

その代表例がスコラ哲学です。

 

スコラ哲学では「普遍論争」が中心的な議論となりました。

 

つまり実在論vs唯名論という論争です。

 

実在論とは、神や普遍は事物にさきだって実在する、だから信仰こそ最優先だとする立場。

 

唯名論とは、普遍は存在せずただ事物につけられた名前にすぎない、だから盲目的な信仰よりも理性が重要だとする立場です。

 

やがてイスラム学問が流入し、また貨幣経済が発達すると、後者の立場が優勢となります。

 

つまり、ここでヨーロッパ人たちは、古代ギリシア・ローマの先達の思想に触れ、かつ商品経済をとおして現実を直視することで、天国よりも地上に関心を向けるのです。

 

これが14-16世紀のルネサンス、そして17世紀の科学革命でした。

 

イギリスでは、フランシス・ベーコンなど、経験や観察を通じて真理を得ようとする経験論が盛んになります。

 

またフランスはじめ大陸では、ルネ・デカルトなど、疑いえない原理から真理を演繹しようとする合理論が盛んになります。

 

こうして哲学はふたたび、自然および人間を追求する、知的活動の中心に返り咲きました。

 

③近代の哲学の流れ

 

しかし、近世の自然哲学は、古代ギリシアと決定的に違う点がありました。

 

それは「自然の本質は何か」という究極問題をいったん棚上げして、現象を量的に把握して数式で表そうとした点です。

 

17世紀の末、ニュートンが『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』という本で、この新しい方法を大成します。

 

数学を土台にしたこの新しい自然哲学はめざましく発展し、哲学のなかで巨大となり、やがて19世紀には哲学の一分野であることをやめて、「科学」という独立した学問となりました。

 

結果として、数学を土台におかない従来の哲学は、人間に関心を向けることになります。

 

特に人間が世界を認識するとはどういうことか、というカントの認識論から、ドイツ観念論が展開します。

 

イギリス経験論と大陸合理論をたくみに統合したカントの認識論はその後、ヘーゲルによって受け継がれ、主客の対立をのりこえた絶対的な一者の自己展開こそ世界の本質だ、という絶対的観念論となります。

 

そしてマルクスはこれを批判的に受け継ぎ、生産を社会や歴史の土台とみて史的唯物論を唱えました。

 

また、人間の幸福を問題にした哲学としては、ベンサムやミルなどの功利主義

 

人間の社会を問題にした哲学として、コントの社会学などが発展しました。

 

しかしこうした人間哲学の中から、普遍的な本質を追求することそのものに対する批判が出てきます。

 

キェルケゴールニーチェなどの思想はのちに実存主義と呼ばれ、20世紀哲学のひとつの潮流となりました。

 

下記のサイトを参考にしました

https://www.google.co.jp/amp/s/loohcs.jp/articles/3604.amp