こんにちは。冨樫純です。
「カールマルクスとイギリス」についてのコラムを紹介します。
迫害されてきた歴史をもつユダヤ人なので、イギリスに墓地があっても、不思議ではないと思いました。
カールマルクスの墓はロンドン北部のハイゲート墓地にあるが、ドイツ生まれのユダヤ人なのになぜイギリスに墓地があるのだろうか。
マルクスはベルリン大学法学部を卒業し、哲学の博士号まで取得したが、教授の地位をえることはできなかった。
そのため「ライン新聞」に勤務するジャーナリストとなった。
その後、退社を余儀なくされ、パリ・ベルギー・パリ・ドイツ・パリそしてロンドンと、プロイセン国籍を放棄したにも関わらず、プロイセン政府の要請をうけたフランス政府やベルギー政府により移住を余儀なくされた。
最後の居住地となったのがロンドンであった。
ここでの生活は決して楽ではなく、妻イェニーはマルクスの友人エンゲルスに対して「おむつを買うお金もない」と無心している。
エンゲルスも援助を続けた。プロイセンの密偵が、 マルクスのロンドンでの生活について報告書を送っているが、このなかで 「ろくな家具1つなく、挨とタバコの煙が満ちたような部屋で、徹夜で研究に没頭するかと思えば、着替えもせず、ソファでタ方まで寝ている」とマルクスのようすを詳細に報告している。
マルクスが極貧の生活を送りながらも、イギリスに居住し続けたのは、膨大な所蔵数を誇る大英図書館が無料で使えたことで、研究執筆生活を継続できたことにある。
さらに当時のイギリスの政治状況もかかせない。マルクスはロンドンで思想的·政治的弾圧をうけることはなかった。
それは当時のイギリスが自由主義の時代であったからである。
プロイセン政府がマルクスを追放するよう要請したことに対し、当時のイギリス首相ジョン·ラッセルは「たとえ王殺しであろうとも、議論の段階にとどまっているかぎりは、治安にかかわる大英帝国のいかなる法律にも抵触しない」と返答してきっぱり断っている。
もっとも、マルクスのイギリス国籍取得申請は、
政府によって拒否されているが。