こんにちは。冨樫純です。
「協同組合運動の父 ロバート·オーウェン」についてのコラムを紹介します。
ぼくは、会社の労働組合の役員をしていますが、その原点がここにあるように思いました。
彼ほど熱心な活動はしていませんが。
産業革命が進行していたイギリスでは、労働者の生活 労働条件は劣悪で、児童や女性も苛酷な労働に従事し、住居環境もまさにスラムそのものであった。
ジェントルマンのなかにはこれらの状況を憂え、人道主義の立場で改善をめざす人も一部にあらわれていたが、本格的に待遇改善の実践をおこなったのがロバートオーウェンであった。
オーウェンが注目されたのは、なによりもニューラナークでの実践である。 紡績工場主として成功したかれはスコットランドのニューラナークにあった工場を競売で購入し、単なる利潤の追求ではない多面的な広がりをもつ新しい試み、具体的には幼児教育·成人教育の実践 (とくに幼稚園や学校の設立)、生活安定のために原価で商品を提供する売店の設置、幼児 高齢者への社会保障的な保護の提案などを実践した。
この試みは一時めざましい成功をおさめ、オーウェンは「人道主義的工場経営者」 としての名声を獲得した。
彼はさらにアメリ力に渡り、私財を投じて設立した「ニューハーモニー」における共産村やイギリスにもどってからの「クイーンウッド· コミュニティ」の設立をこころみている。
ただ注目すべきは、このコミュニティを建設しようとする背景には「千年王国」的発想がその基礎にあったことである。
オーウェン支持者が各地の都市に建設した「科学会館」では、オーウェンが聖職者のように儀式を主宰し、式辞を述べ、社会主義をたたえる賛美歌がうたわれるなど、組織や行事には宗教的な装いがほどこされていた。
オーウェンの実践はそのほとんどが失敗におわった。彼の努力で実現した工場法(1819年)は骨抜きにされ、設立した全国労働組合大連合(グランドユニオン)は短期間で崩壊してしまった。
ただ彼の平和主義的·漸進的社会改革の手法は、のちのフェピアン協会に継承され、現在の労働党の源流をなしている。
またオーウェン支持者によって普及した協同組合運動は、世界各地に広がり、オーウェンは「協同組合運動の父」 ともよばれている。